アセンション(次元上昇)

真実のアセンション・次元上昇とは? 意識進化で神性を生きる方法とは?

過去の大戦に想う 〜 理想とする未来へ向けて

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終戦の日が近づくと

毎年のことですが、終戦の日が近づくと、「先の大戦はどうだった、こうだった」、「米軍による原爆投下はよかった、悪かった」等の議論や検証が、新聞・テレビ・ラジオ、雑誌やインターネット上、また身近な人との世間話等のなかで再燃して、人々の心になんとはなく、今は遠い戦争の記憶が思い起こされてきます。

無論、戦争を知らない世代にとっての記憶とは、教育にて刷り込まれた記憶か、いつかの時点で、どこかで誰かから見聞した記録や体験談(誰かの立場に偏った一方的な情報)をつなぎ合わせた記憶のよみがえりです。

戦争に対する感想の種々相

そうした各種立場を見渡すと、大まかには以下のような立場に分かれると思います。

  1. この世的な人類愛の観点、立場 → 「争いは無意味。人は本来、思いやり合い、愛し合って生きるもの。みんな仲良く暮らそう」
  2. 自己愛の観点、立場 → 「他人に殺されたくない。傷つけられるのも、日常を乱されるのもゴメンだ。自分たちの身は自分たちで守らなければ」
  3. 過去の帝国主義肯定派の観点、立場 → 「大東亜戦争は正しい。日本はアジアの国々を西洋の侵略から救おうとしたのだから。ただ、西洋の国々を巻き込んで、世界大戦になってしまったことは誤算だった」
  4. この世的な平和主義者の観点、立場 → 「戦争や核兵器は絶対反対。殺し合いに正義はない」
  5. 戦争被害者の観点、立場 → 「子供たちや孫、ひ孫たち、これから生まれ来るまだ見ぬ子孫たちを、あのような目には会わせたくない。あんな体験はもうこりごりだ。戦争は百害あって一利無し」
  6. 対岸の火事見物的観点、立場 → 「その時代に生きてなかった自分たちには関わりないこと。今生きてる者同士が良い関係を築ければいいじゃないか」
  7. 三界を見通した平和主義者の観点、立場 → 「あの時代に戦争になったのは、各国各民族各個人のカルマを、大きく清算するためには避けて通れない運命だった。あのような大戦を経験した私たち人類は、過去の過ちに学び、個々人が自分を許し愛するという基本的生き方を実践することをとおして、互いの違いを認め合い、尊重し合って生きてゆこう。根本的な戦争の種は、他人にあるのではなく、個々の人類がみずからのいのちの本質を認め、許し、愛することが出来なかったことにあったのだから」

まだまだたくさんの分類がありますが、大まかに見て上記の分類になると思います。

他人を変えることは出来ない、変えるべきは自分

大きく分ければ、肯定と否定、中立の三者に分かれる観点・立場ですが、2016年現在を生きる私たちが、先の大戦を振り返り、その体験を活かして、よりよい未来を創世してゆくためには、どのような視点を持つことがよいでしょうか?

人間を肉体性の者に限定してみれば、以下のような見方があります。

  • 個々人の所属する民族・地域・国、受けてきた教育内容等のバックボーン、背景を合わせ観れば、肯定・否定のどちらかの立場に立つ人がいることは、非難することが出来ない。
  • 思想の自由を認め合うという面から観れば、悪意や憎悪といった想念波動渦の回転に巻き込まれて、今も当時のしがらみを払拭し切れぬ立場に立つ人がいることは、非難することが出来ない。

どんな人も、他人の考えや生き方を変えることは出来ません。地球のどこに住んでいる人であっても、誰かが考えや生き方を変えるときには、その人自身の意思によって、考えを変え、生き方を変えています。そのきっかけがなんであろうとです。

ここにおいて、他人がどういう立場であるかを気にすることは、重要なことではないことがわかります。

そうすると真実に変えるべきものは、みずからの想い・こころ・意識であるということになります。

歴史を逆行するような想いを浄めよう

そこで、他人のことは脇に置いて、まずは自分自身を地球のアセンションに役立つ者とするために、以下の立ち位置に立ち、物事を見渡し、考えることが大切であることに気づきます。

『過ちの歴史を繰り返すことなく、みずからを磨き、深め、高めあげることをとおして、真実の調和世界を創りあげてゆく』

他人を批判したり、誰かと立場的に対立する前に、自分みずからの想念のあり方を冷静かつ客観的に見つめてみるのです。

そうしてみると、対立を生み出す想念種や戦争を来さしめる想念種が、種々とみずからの心のひだに、こびり付いていたことが見えてきます。

そうした“歴史を逆行するような想いの数々”を、丁寧にすくい上げて、みずからの《いのちの光》で洗い浄めるのです。

その繰り返しをとおして、世の中全体から、「過ちを繰り返そう(武力を持って立ち上がろう)」という機運が消え去ってゆくことになるのであります。

なぜならば、多くの場合に人間は、潜在・顕在意識のあり方(内面世界)を、縁ある他人に映し出し見ていながら、そのことに気づかず、他人事として見ておりますが、実は、内なる世界を投影した外部世界をみずからが創りあげ、それらを見て「世界は不調和だ」、「不調和な考え方をする人がいて、世界を悪い方向へもってゆこうとしている」等と、責任転嫁・責任回避の悲劇のヒロイン的想いで誤認識しているものだからです。

大切なことは、肉体の外に見える外部世界を形成しているのは、自分以外の他人ではないということです。

今ここにある世界は、まぎれもなく一人一人の認識の産物として“ある”のです。

自分が変われば世界は変わるのです。

一人でも二人でも、そうした真理の観点を自己のものとする人が増えれば、そこに相乗作用が生じて、多くの縁ある人が気づかぬうちに、調和した想いに変わってゆくのであります。

【自分が変われば世界が変わる】ということを、このブログのなかで時折書いていますが、それは、自分の認識の仕方を変えることによって、他人や社会の見え方が変わるという自己側の認識における変化の裏で、実際に周囲が調和するという絶対的な事実をも生じせしめているのです。

「周りを変えたければ、まず自分が変われ」と言われる所以は、そこにあるのであります。

280808

政府や国会の動きを正しい調和の方向に向かわせる方法

昨今の政府や国会の動きを観ていると、「憲法や法律を改正して、わが国側から武力攻撃しやすいようにしよう」というような、きな臭い動きが見て取れます。

それらは、近年の周辺国との政治的な関係のあり方から、多くの国民が湧きあがる不安に対してどう対応してよいかわからず、「専守防衛では物足りないのではないか。いつまでもアメリカの子分ではいけないのではないか。動的防衛力を強化しなければ、日本の未来はないのではないか。もはや自主防衛を主にして、同盟国と手を結び合う以外に道は無し」との念に至った想いの集積エネルギーが、国会議員や役人方の脳内細胞に働きかけ、“歴史を逆行するような想いの数々”を具現化するような動きとなって表れているのであります。

ですから、国会議員や役人たちの動きのみを批判して、その考え方を改めさせようとするだけの動きは、肝心要の自分たち、国民一人一人における心の平和を創りあげずして、他を変えようとすることですので、根本解決にはなっていない、小手先の動きでしかないことになるのであります。

自分が見ている他人は、自分自身なのです。

いのちの真実に立てば、“自己を離れた他人”というのは、まったくどこにも存在し得ないのです。

それゆえ、日本国の方向を正しい調和の方向へ向かわせるために、国会議員や役人を変えようとしても、そこに自他の乖離を産み出し、いたずらに対立観念を増幅させ、世界全体に不調和波動を巻き散らかす愚行になってしまうのであります。

己の意識進化が平和の礎

ここまでに述べてきた内容で、自分個人として、どうあるべきか、何を為すべきかが、観えてきたと思います。

そうです。

自分を変えるのです。

自分を変える以外に、根本解決の道は無いのです。

「自分一人を変えたところで、なんの力にもなりはしない」などと、独り決めしてはいけません。

一人一人の認識が集積した集合意識こそが、国々を動かし、各国の集合意識が集積した、さらに大きな集合意識が世界を動かしている事実を、心の目を見開いて刮目して観るのです。

国を代表する仕事をしている政治家や役人の意識レベルは、その国の国民の意識レベル平均値に比例しているのです。

誰がなんと言おうと、それは絶対なる事実なのです。

今を戦前に戻さないための最善の方法は、国民一人一人が無知のゆりかごから起き出して、自分の足で立ち、世界のあり方に責任を持った意識で、やってよいこととよくないことの識別を截然と行い、その意識を言動行為に表すことであります。

宇宙の真理に根ざした認識力を持った国民が、少しずつでも増えてゆけば、その国が道を誤る可能性が低くなってゆきます。

そのためにも、何にも増して重要なことは、自分自身の意識進化をはかり、心身のアセンションを徹底して推進しつつ、いのちの本質を表して生きることなのであります。