アセンション(次元上昇)

真実のアセンション・次元上昇とは? 意識進化で神性を生きる方法とは?

真理の観点から観る『核』及び北朝鮮への認識

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北朝鮮の動向

BGM = 『僕と彼女と週末に』  詞・曲・歌 by 浜田省吾


北朝鮮指導部による昨今の過激な行動にマスコミが反応し、その動向がニュースにてクローズアップされた結果として、関係諸国民の集合意識に暗い影を落とし始めています。

金正恩と彼にしたがう北朝鮮政権幹部・軍部の行動は、まるで人々が寝静まった深夜に爆音を轟かせながら走り去る、一昔前の暴走族の姿を思い出させるものがあります。

暴走族ならば、“青春の一時期における心のハシカ”と苦笑で済ますことができますが、北朝鮮政権が振りかざしているのは核兵器であり、日本政府のいうように、容易に容認できるものではないのもまた事実です。

このような事態のなかにあって、私たち日本人が今もつべき認識のあり方を、真理の観点から今一度整理して見つめ直してみましょう。

因果応酬の波動圏にいるかぎり

「やられたらやり返せ」というこれまでの普通の世界観・常識、いわゆる因果応酬の波動圏に意識がとどまっているかぎり、この世に安心して暮らせる大地はどこにもありません。

心が、「暴力行為軍事力には暴力行為軍事力をもって報いなければいけない」と考えるような世界観でいるかぎり、その人々の世界には安寧あんねいの未来は訪れようがないのです。

また、誰かの粗暴な言動行為にいちいち恐怖し、萎縮してしまうような意識でいることも、そう認識した当人の生命光を曇らせてしまい、みずからの人生を暗いものに塗り替える想念行為になってしまいます。

そのように、暴力に暴力で報いるも、恐怖し萎縮して生きるも、どちらもともに暗黒の世界をみずからの人生上に創出してしまうものであるならば、この現状に際して私たちは、一体どのようにみずからの意識を用いてゆけばよいのでしょうか。

不安恐怖の対象は単なるきっかけに過ぎない

その回答の鍵は、

『外面世界のあらゆる動向は、人類の集合意識の蓄積結果として、時差をもって現れたものであり、同調反応する想念種子が魂のなかになければ、どのようなこの世の動向も、みずからの感情想念を浮き足立たせる原因とはなり得ない』

という、真理のなかにあります。

私たちは常日頃、不安や恐怖を感じる場合には、「不安恐怖させる対象があるからこそ、自分は不安恐怖しているのだ」と思い違いをしておりますが、実は、自分のなかにみずからつくり出し、以前より潜在意識に蓄積していた不安恐怖の想いが、何らかの対象が現れたことをきっかけとして表面意識に現れ、消し浄まろうとしている状況なのであります。

冒頭で取り上げた暴走族に対する認識で考えてみると、その理がわかりやすいかも知れませんので、ここに取り上げてみましょう。

彼ら若者たちが暴走行為を行っていた当時のパッションの正体は、おおむね親や学校・その背景にある社会等に対する鬱憤であり、そのはけ口として暴走行為に及んでおりました。

それはある種一時的な適応障害でしかなく(北朝鮮の場合は地球世界に対する適応障害)、彼らの行動の発端はそもそも、近隣住民の安眠を妨害することを目的としたものではありませんでした。

ただ幼さゆえに、みずからの行動が周囲へ及ぼす悪影響にまで想いが至らずにいたことも、また一面の事実ではありましたが……。

そのような彼らの行動に触れてどう思うかは、近隣住民一人一人の認識の範疇でありまして、その暴走行為に触れて敵対意識や被害者意識を催す人もいれば、「若さゆえのハシカだな、しょうがないな」と感情想念を乱すことなく、冷静に見守る人もいました。

そうした種々の反応における真因をたぐってゆくと、敵意や不安恐怖・不愉快等を感じる原因・種子は、近隣住民一人一人の心のなかに元々あったものでありまして、そうした種子が自分の心のなかに元よりない人は、たとえ深夜の暴走音に何度も安眠を妨げられたとしても、そのことをもってみずからの感情想念を乱す(乱される)ことがないのでありました。

このような観点で観てゆくと、みずからの意識がどう動くかの責任の所在がどこにあったかが、おのずと明らかに観えてくるのではないでしょうか。

280910

どう認識するかの責任は自分自身にある

この記事の最初のほうで、「因果応酬の波動圏に意識がとどまっているかぎり、この世に安心して暮らせる大地はどこにもない」と書きましたが、その理由はこれまでの内容ですでにおわかりのように、何をどう思うかの責任の所在はこちら側にあるのであって、たとえこちらの感情想念を乱し(乱され)かねない人物や対象物がこの世にあったとしても、それらに触れて何を思うかの責任は、相手や対象物にはないのであります。

このことは、因果応酬の波動圏に意識がとどまっている場合には大変厳しい真理であって、容易に受け入れることのできない内容かも知れません。

しかし、それが事実なのです。

みずからの認識こそがすべてなのです。

悪と認定した対象は、その人にとっては悪になるのです。

逆に善悪で観ない、批判・評価の刀を振り回さない人にとっては、意識レベルの違いはあれども、進化のプロセスをともに歩む地球同胞がそこにいるだけなのであります。

他人が何をどう思いどう行動しているか、どのようにあるかは、自身の魂の進化向上にとってはまったく大事おおごとではなく、あくまで自分がこの世の動向に触れた際にどう認識するかこそが、もっとも重要な大事だいじなのです。

なぜならば、そうした一人一人の認識が寄り集まり、集合意識を形成して、地球の運命を動かしている=地球の命を運んでいるのが、この星の行方を形成する原理だからであります。

核兵器にも原発にも罪はない

ところで肉体の人間の想いは、それらの悪影響を恐れるのあまり、核兵器や原発そのものをも敵視しがちです。

しかしそもそも、彼ら(核兵器や原発)は単なるエネルギーでしかなく、エネルギーそのものにはなんらの善悪もないのであります。

問題はそれらを扱おうとする人類の心持ちにこそあるのです。

自然環境への悪影響を考慮せず、事故が起こったときの適切な対処法も開発していないにもかかわらず、核エネルギーを取り扱おうとする幼い想いこそが、銀河系宇宙の星々に迷惑をかけているのであります。

あなたが大人であれば、幼子が危険きわまりない火遊びをしているのを見たならば、「その遊びは危ないからもうやめようね」と注意するでしょう。

それと同じように宇宙の兄姉は、核の取り扱いについて、心ある人類の脳髄に働きかけて、「その遊びは危ないからもうやめようね」というシグナルを地球人類に送っているのですが、受け取る側の意識レベルが因果応酬の波動圏にとどまっている場合には、そうしたメッセージが曲解されて、単なる核兵器反対・原発反対等の言動になってしまい、この世のうえに対立感情を燃え盛らせている結果となって表れているのであります。

単なる反対運動を超えた真実の平和創造活動に従事しよう

単なる反対運動をしたり、最大限の非難を表明するだけでは、けっして核兵器も原発もなくなりません。

だからといって、それらの活動のすべてが無意味だというわけでもなく、進化のプロセスにおける一時期にあるべきものとして、一定の役割を果たしているのであります。

意識進化を志向する者としては、そうした反対運動や非難の表明にとどまる心境とも一線を画した真実の平和創造活動に従事すべきでありまして、それは、地球人類意識の浄化・純化をいかに進展させてゆくかというところにあるのであります。

現れる想念行為には原因がある。

現れた想念行為は現れたことをもって、再びつかみさえしなければ果たされ消えてゆく。

しかし、現れるのを待っていてはキリがない。

現れる前に先取りして浄化・純化してゆかなければ、地球の運命は悪化の一途を辿るばかりだ。

そうしたことを考え合わせてゆくと、今現在、意識進化した人、しつつある人の果たす役割は、とても大きいことがわかります。

  • みずからの内にこびり付いていた悪を浄化して、悪を悪と認識しない
  • みずからの内にこびり付いていた敵対感情を浄化して、誰をも敵対視しない
  • みずからの内にこびり付いていた不安恐怖を浄化して、どのような事態にも不安恐怖しない
  • 人類の本質が万物創造のエネルギー源であることを知り、その力をみずからに顕し生きてゆく
  • そうした人類の本質が必ず地上に現れることを、大確信して日々を突き進んでゆく
  • すべての人類が真理に目覚めるよう、みずからが太陽となって生きてゆく
  • 宇宙人類の直接的サポートを、全人類が受けるための磁場を地上に形成してゆく

そのように成すべき働きはたくさんありますが、みずからの本質が《いのちの光》であることを当然認識した大信念をもって日々を生きてさえいれば、それらの事々は力む必要なく、自然のうちに果たされゆくのであります。

意識進化を志向し、地球のアセンション(次元上昇)を推進する原動力となっている人々は、そのように一切の敵対感情をもたず地上に生きる奇跡の人、すなわち、地球人類ならぬ宇宙人類なのであります。


僕と彼女と週末に

作詞・作曲・歌 by 浜田省吾

この星が何処へ
行こうとしてるのか
もう誰にもわからない
権力ちから権力ちからSee-Saw-Gameシーソーゲームから
降りることさえ出来ない

人は一瞬の刹那に生きる
子供は夢見ることを知らない

君を守りたい
君を守りたい
この手で
愛を信じたい
人の心の
愛を信じたい
いつの日か

昨日の絵具で
破れたキャンバスに
明日を描く愚かな人
売れるものなら
どんなものでも売る
それを支える欲望

恐れを知らぬ自惚れた人は
宇宙の力を悪魔に変えた

君を守りたい
ただひとりの
君を守りたい
この手で
愛を信じたい
人の心の
愛を信じたい
いつの日か

 週末に僕は
 彼女とドライブに出かけた
 遠く街を逃れて
 浜辺に寝ころんで
 彼女の作ったサンドイッチを食べ
 ビールを飲み
 夜空や水平線を眺めて
 僕らいろんな話をした
 彼女は彼女の勤めてる会社の
 嫌な上役のことや
 先週読んだJ・D・サリンジャーの
 短編小説のことを僕に話し
 僕は今度買おうと思っている
 新しい車のことや
 二人の将来のことを話した
 そして誰もいない静かな
 夜の海を二人で泳いだ

 あくる日僕は
 吐き気がして目が覚めた
 彼女もひどく
 気分が悪いといい始めた
 それで 僕らは朝食を取らず
 浜辺を歩くことにした
 そして そこで
 その浜辺で
 とても奇妙な情景に出会った
 数えきれないほどの
 銀色の魚が
 波打ち際に
 打ち上げられてたんだ

いつか子供達に
この時代を伝えたい
どんなふうに
人が希望ゆめ
つないできたか

君を守りたい
ただひとりの
君を守りたい
この手で
愛を信じたい
人の心の
愛を信じたい
いつの日か

君を守りたい
ただひとつの
君を守りたい
この手で
愛を信じたい
人の心の
愛を信じたい
今こそ