アセンション(次元上昇)

真実のアセンション・次元上昇とは? 意識進化で神性を生きる方法とは?

Voice of brothers 27 意識進化に至る道と心の地図

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★生命根源の世界と直通した意識進化の道路整備

きみたちが今の地球界で、どこかへお出かけしようとするときには、それがいつもの行き慣れた場所なら、“なんにも悩まないで、いつもの道をいつもの行き順で行く”だけで、スムーズに目的地に着けるでしょ。

それは言ってみれば、“目をつぶってでも行ける”ってことだよね。

肉体表面意識といのちの本心・本体の間でもそのように、目をつぶっても行き来できるくらい当たり前に往来できればいいんだけど、現状の地球人類の心境は、そうした《すべてと調和して人生創造が思いのままに行える境地(生命根源の無限なる力)》が自己の内奥に実在してる元々備わっている事実さえ忘れ果てた人がほとんどだ。

「忘れ果てた」というのは、生命根源の世界と肉体表面意識を結ぶ生命光の道があったところに、肉体想念由来の雑草(カルマ)が人の背丈以上に生い茂って、本来在った《次元の奥行きを伴った意識進化に至る道》が風化して、わからなくなってしまって(道なき道になって)いて、自分が自分だと思っている表面の想い以外に自分の意識はないと思い込んだ状態だよ。

そんななかにあって、いのちの真実に目醒め始め、思い出しかけている人たちは、そのすさみ果てた心の荒野というか未開の原野の奥に、人類本来の神性があることを思い出し始めていて、実際面の行動としては、いろんなスピリチュアルメソッドや宗教など、その類の道に活路を求めているね。

そのうちの一部の人は能動的に、本来在った道を再び開通しようとして、「この原野の先に、必ず《光明燦然とした本心・本体の世界》があるんだ」と固く信じて、行き方の全貌は観えないながらも、生命の根源へと至る心の道路整備に着手し始めてもいる。

そこで今日はそんな、“本当の幸せを見つけたいと発心ほっしんを起こした人たちが、他の誰にも自己の生命権能を明け渡すことなく、(あくまでも自己責任において)アセンションするための翼”となるような話をしよう。

★生命根源の世界と行き来する二つの方法

まず始めに伝えておきたいことは、生命根源の世界と直通した道を開通して、肉体表面意識と生命本源の宇宙意識の往来を自由に行う方法には、大別して二つの方法があるということだよ。

一つ目は、宇宙意識へと至る迂回路、『生命のバイパス(守護霊心・守護神心)』を通って本源世界に帰り着き、そこから再び生命の本道を復元する方法だよ。

二つ目は、原野になってしまった道なき道の現在地(出発地点)と到着地点を、心の地図上でGPSのように位置関係を確認しながら、奥へ奥へと道を切り開いていって、道路整備しながら開通させる方法だよ。

そのように、生命本源の意識を肉体に顕す方法は二つあって、人は誰でもその二つの道のどちらかをとおって、自己を生かす力(生命光)の源へと回帰して、その根元の世界と現れの世界を行き来しながら、その無限の力を心身に発揮して生きることができるということを、初めにポイントとして押さえておいてほしい。

★心の地図が読めなくてもアセンションできる

ここでさっきの話の一つ目、生命のバイパスを通って、生命根源の世界と往来する方法を説明しようね。

この道を行く場合の往路は、『守護神霊の心』という、人間に内在する7つの心のうち、2つの心である神(心)域をとおって、生命根源の世界へといったん帰るんだ。

その方法は、より大いなる存在に個我のすべてを投げ出してゆく道ともいうもので、自分が自分だと信じて疑わなかった想いのカビを、守護の神霊の心光に溶かし込んで無くしてしまう方法だよ。

そしてその復路は、“肉体に張り付いた被造物としての想い”ではなく、『造物主としての意識(宇宙創造エネルギー)』そのものとして……、そう、本心・本体の自己として、未開にしてしまった原野に元々あった道を再び開発しながら戻ってきて、完全なる開通を果たすんだよ。

日本には昔、そのようにして、心の地図が読めなくても、アセンションした境地に行き着いた人たちがたくさん輩出された時期があったね。

その代表的な人たちは、浄土宗系の信仰深い人たちで、《妙好人》と呼ばれていた人たちだよ。

妙好人とは、学のない貧しい人でも、難しい宗教理論がわからないような人でも、「寝ても覚めてもいのちのあらんかぎり、ただ称名念仏すべきものなり」って決心して、阿弥陀仏による救われを一心に信じて、南無阿弥陀仏一辺倒でもって、すべてのカルマ想念を解脱した、現代におけるアセンションの先達ともいうべき一般庶民の人たちのことだよ。

浄土宗系の信仰者のなかにはそのように、ぼくたちの言葉でいえば心の地図が読めない人でも、アセンション解脱(げだつ)し得た一般大衆が数多くいた。

本当は誰でも、そういう人たちのように、行う行が真理に則った行でありさえすれば、それをやってる人たちが自分たちの歩んでいる意識進化の道程の全貌を把握することができない場合でも、必ず誰でも行くべき世界、真理の意識世界へ到達することができる。

ただし、そのような道を行く場合には、《みずからのいのちの光(すべてを生かす力)》に対する素直さを持ち合わせていることが、必須要件になるんだけどね。

たくさんの妙好人が輩出されていた当時の日本は、まだ多くの人がその日その日を生きるのに精一杯で、『人間のいのちは神仏そのものである』っていう、宇宙共通の真理が広まるには時期尚早だったから、外部の超越的力、具体的には仏さまとか神さまとかに救ってもらうって形で、人々は知らないうちに悟り(解脱・意識進化)の境地に導かれていったんだ。

そのような生き方は、阿弥陀仏による救われという形をとっていながら、実はそれを実際面で導いていたのは、当人の守護霊・守護神さんであって、もっといえば、《みずからのいのちの光》が自らを救っている姿だったんだね。

その生き方を肯定できると思うなら、その方法は今の時代でも有効だよ。

★現代人の置かれた状況

けれども現代では、地球を取り巻く精神波動と物質波動の最終次元上昇が起こり始めていて、地球世界が霊化し始めた結果として、宇宙共通の真理である『人間のいのちは神仏そのものである』という認識を、たくさんの人が思い出し始めている。

それでもって、みずからの意志が自己の神性を自覚しようとするような、魂自立の機運がもり上がっていて、何かに救ってもらうというような想い方がピンと来ない、シックリ来ないと思う人が増えている。

それともう一つ、現代人の素直な神性回帰を難しくしている要因は情報過多で、自分が取捨選択をシッカリとしなければ、その情報洪水のなかでおぼれてしまって、何が真実で何が偽物なのかが、皆目わからなくなっているということだよ。

情報化社会の弊害ともいえるものだけど、現代では、真理と同じような羊の皮をかぶった狼的な道や、理想郷への道しるべと見せかけた地獄へのいざないの喧伝が、昔とは比較にならないくらい世にあふれていて、多くの心ある人たちが、何が正しい道なのかわからずに、スピリチュアル難民と化している。

真理と見せかけた話があまりにも玉石混交しすぎていて、多くの人心が戸惑っているでしょ。

だから、今地上に生きてるみんな(心ある人々)の心の動きを観てると、多くの人が実際問題として、何を一心に信じていいのかがわからないままに、眉に唾つけてもの観るような、疑り深い心境にとどまってしまっていて、あれこれと手を出しては、「あれも違う、これも違う」ってさまよっているんだ。

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★心の地図を読んで本源の我を顕す方法

そんな状況のなかにあって、己が本来行くべきひとつの道(自分にとってピッタリな真理の本道)を選べないでいる人たちが、本然の生命光に帰る大道(意識進化に至る道)を、誰にも依存しないで見つける方法が、心の地図を読み解くことだよ。

この方法が生命のバイパスをとおらずに、みずからの意志をもって、生命の根源へと直通する道を再び開通する方法なんだ。

意識進化の道を生きたいと思う場合にあって、「でも何を信じたらいいかわからない」って思っちゃうのは、どういう意識が全次元のどこにあるのかがわからないでいるから、そう思ってしまうわけでしょ。

どのような意識が、全宇宙次元天地のどこにあるのかがわかりさえすれば、人は生きる道を誤りようがないよね。

そうした真実が明確に把握できない段階にある場合に、自分が目的とする意識進化の最終到着地点はどこなのかとか、意識進化の経由地点がどういう心境なのかとか、自分の意識レベルが今、心の地図上のどこにいるのかとか、もしも道を間違えた場合にはどうすればいいのかなどの諸問題や懸案が、心の地図を読めさえすれば全部解決するでしょ。

そうすれば少しくらい遠回りして遅刻したとしても、必ず目的地へたどり着くことができるね。

それは、肉体世界でのお出かけも意識進化の道程も、まったくおんなじことで、地図が読めさえすれば、たとえ道を間違ったとしても、乗る電車やバスなどの交通手段を変えるとか、向かう方向を変えるとか、自分の行動を修正しやすいでしょ。

意識進化の道程でも、心の地図が読めさえすれば、どこにどんな心境があるのかや、何をどうすればどういう心境になるのかとか、眼前に広がる原野のどこを開発すれば生命の大道を復活させることができるのかなどを読み取ることができるから、一番大切な、“どうけば意識進化の道を誤ることなく最終到着地点へ生き着くのか”も、心の地図から一目瞭然で読み取ることができるからね。

★認識と地図の次元における相関関係

そこで今日は、その心の地図の読み方、イメージとして直観的に、一瞬にして閃く方法について話そうと思うんだけど、どうやって伝えたらわかりやすいだろうか。

肉体世界の地図の見方を説明するだけなら、3次元を2次元に落とし込むだけだから、波動の違いが少なくて、比較的理解に苦しむことはないんだけど、今ここで心の地図を説明するには、5次元以上の高次元意識の在り方を、文字の世界、それも読むパソコンやスマートフォンなどの2次元端末画面に落とし込もうとすることだから、波動の違いが著しくて、なかなか理解しにくい面があるかも知れない。

なんとか説明しようと思うけど、その前提として、再確認の意味でよくよく理解しておいてほしいことは、きみたちの表面意識がある世界で【地図】だと認識されている位置関係の図解は、3次元空間の位置関係を2次元の平面図解として落とし込んで観てるものでしょ。

ここで大事なポイントは、今のきみたちは、“その2次元の地図を3次元から見ているからこそ、地図の内容を理解することができている”という事実を得心することなんだ。

逆にいえば、意識が0次元や1次元にある場合は、2次元の地図を理解することができない。

心の地図を理解するためには、きみたちが3次元の認識で2次元の地図を観るからそれを読み解けているように、最低でも意識の軸を5次元に置いて、5次元から4次元を見渡す意識が必要なんだ。

心の地図っていうのは、3次元世界にではなく、4次元世界にあるものだからね。

実際に心の世界を奥へ奥へと開発してゆくと、最終的には無限次元の時空に拡がってゆくものなんだけど、最低でも4次元の図解を理解できる5次元認識を思い出しさえすれば、心の地図を読み解くことは誰にでもできるよ。

心の軸を5次元において、4次元の図解である心の地図を読み解くための具体的な方法としては、様々な行法があるけれど、一番基本的かつ普遍的なのは、深い呼吸を常時の呼吸とすることだね。

それでもって、自分の《いのちの光》に照らして、自分が常時発している想いが、生命光によって立つ意識なのか、肉体に張り付いて本質を見失った状態の想いなのかを、逐一味わい噛み分けて生きることだよ。

これができるってことがどういうことかというと、意識がいつでも瞑想時の波長、鎮魂した状態、脳波でいうところのアルファ波とかシータ波とかいわれてる波長になっているってことだよ。

脳波がそのような波長になっているということは、意識の軸が3次元領域を抜け出して、4次元世界を包含した5次元領域にあるってことなのね。

それで、5次元領域に意識が常住してるとどうなるかというと、時間空間の制約的観念の檻から抜け出て、自由の身になることができて、それ以下の各種次元天地へは、思いのまま自由に飛翔できるようになるし、それ以上の次元領域への道のりも、意識レベルの現在地も、地図アプリを見て瞬時に理解するかのように、まぶたの裏(脳裏)で俯瞰して客観視することが可能になるんだ。

4次元認識はなんにも難しいことはなくて、人が感情に流されずに、普通に理性的に生きているときは、縦・横・奥行きに時間を加味した4次元認識を生きているんだよ。

みんな自覚してないけどね。

ここまで説明したらなんとなくわかってきたかも知れないけれど、本来の心というのは、各種次元天地が重なり合った奥行きを同時認識できる構造になっているものなんだよ。

★心の地図と次元の奥行き

心の地図っていうのは、スマートフォンなんかで見ることができる地図アプリのように、自分の意識レベルの現在地と、途上の経由点、行くべき到達点などが、次元の奥行きを伴った線で結ばれていて、その時々の心境の移動状況がリアルタイムで、あたかもGPSによって示されているかのように、正確に観ることができる便利な地図なんだ。

ここでいう次元の奥行きというのは、見える見えないという話からいえば、可視光線の波長が肉体人間の通常可視圏外にある種々の領域(世界)が、重なり合って存在していることをいうのね。

それで、地球の肉体人間における可視光線の波長は、360nm(ナノメートル)から830nmだと、現在の地球科学でいわれているでしょ。

その波長の範囲外にも実際には、数え切れないくらいたくさんの天地があって、次元を異にした数え切れない空間天地や、肉体想念意識では見えも聞こえもしない生命体が無数に存在しているんだ。

これからの地球科学は、いよいよそうした見えも聞こえもしなかった世界の領域を、開拓してゆく段階に入ってゆくんだよ。

だけど、そうした様々な世界の波長を科学的に証明される前に、現在の自分が同時認識できる方法がぼくたちの説明している心の地図を読みこなす方法で、それができるのが、心が本来もつポテンシャルなんだよ。

だから、いつまでも肉眼に見える世界に執着して、「目に見えるものしか信じない」なんて、駄々をこねていちゃあいけないね。

これからの世界では、今までの常識を持ってしては理解不能な現象がたくさん現れてくるよ。

けれど、生命本源の世界に直通した意識を一足先にもっておけば、なんにも戸惑うこともない。

心の世界の広がり、次元の奥行きというのは、肉眼に見えるというようなもんじゃなくって、心眼に映じるというか、目をつぶってでも行ける場所みたいに、そこにあることが当たり前にわかってて、意識の波長を変えることで自在に行き来できて、自分が今ここにありながら、同時にそちらの世界へも行けるものなの。

こんなふうに言葉で説明すると、難しく思うかも知れないけど、これはもう論より証拠でね、「疑いをはさまずに、素直に真剣に取り組むならば」という条件つきながらも、今の地球界の次元波動なら、誰でも数時間もあれば、その心境を自己のものとして落とし込むことができる、絶対にね。

この話を読んでいる今この瞬間にも、きみの守護の神霊の手によって、きみ自身の《認識の波動調整》が行われているんだよ。

だから時間的余裕のある人は、この話を読み終えたあとに瞑想してみてほしい。

そのときには、きみのまぶたの裏にある意識視野が大きく開いていて、きみ自身の生命根源の世界と肉体表面意識との間の位置関係が理解されてきて、なんとなくでも“心の地図が読めるきみ”になっているよ。

ただし何度もいうけど、「必ずできる」って疑いなく信じて、一切の疑念を挟まないことが前提条件だよ。

生命光への疑いの誘惑こそが、人間の本質たる神性を見失わせ、わからなくさせてきた原因だからね。

ん?そうそう、そのとおり、ご明察だよ。

疑念は、「アダムとイブが食べた知恵の実」と比喩表現されたものの実態で、人間が本心・本体を忘れるに至った、唯一最大にして根本の原因であり、それこそが原罪の正体だったんだ。

おっと、話が脱線してしまったね。

★地湧の菩薩群へ

いいかい、意識進化ってのは、今自分が自分だと思ってる意識が、今ある意識時空の地点よりも、さらに奥の次元地点に移動することだよ。

その移動している状態というのは、実は一瞬のことなんだけど、意識の飛躍であり飛翔であり、進化創造の姿なんだ。

それが現れの視覚的姿としては、心の道路工事夫になって、汗や泥にまみれながら、本源の自己、いのちの光の我、本心・本体、生命の根源意識に回帰しようとしている姿になっているんだよ。

その姿はとても尊く、光輝に充ちて、なにものも侵しがたい尊厳と威厳を兼ね備えている。

そのようなきみたちこそが、仏教に伝えられてきた地湧の菩薩群なんだよ。

地球を真実に救うのは、きみたちのように、地球に根ざして永い間、生れ変わりを繰り返してきた人たちなんだ。

地の波動を天と調和させ、縦横十字に大調和させ得る人々は、きみたちを置いて他にはいないのだからね。

今が踏ん張りどころだよ。

あと少し、あと少しで、きみたちの時代が来る。

必ず、必ずだよ。