アセンションに至る心と脳に関する話②

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(前回の続き)

表面意識の奥にある潜在意識と脳の関係

ここで、潜在意識と脳の関係について、もう少し観てまいりましょう。

潜在意識(隠れた心)を肉体の側から観れば、「この身この心こそが自分である」と信じて疑わない記憶の物置・クローゼット・納屋・倉庫のようなものです。

この世の科学的な見解では、その記憶、過去の意識による認識の記録は脳に刻まれている、とされています。

また、古い記憶は海馬等に、この世の直近の記憶は大脳等にあると、科学的な研究結果として発表されたりもしています。

果たしてそれは真実なのでしょうか?

私はそのような研究結果を一面的には正しいと観ています。

一面的にということは、違う角度から観れば正しくないということです。

そのような見解は、“木を見て森を見ず”のような状態で、部分を見て全体だと思い違いをしている知見なのであります。

記憶が脳にあると本気で思っている人などは、人間を動かす大元の力であるいのちのエネルギーそのものの在処ありかも、肉体にあると信じて疑わない人なのでありましょうが、少しく考えれば、その考えの完全に誤りなることがすぐに判るものと思います。

なぜならば、その考え方では、母親の胎内に宿った赤子の肉体に入り来るいのちがどこから来たのかの説明がつきませんし、事件や事故、病気や老衰等でいのちが抜け出した(死亡した)肉体が屍・亡骸になり、ついさっきまでその肉体にあったいのちが何処へ行ったかの説明がやはりつかないからであります。

それはやはり、いのちや心という存在が、脳や肉体各所の生命拠点を介して生命の源とつながっていて、そのつながっている状態をもって、私たちが今ここに生きていることの証左なのです。

また、人間がこの世に生きていて、様々な苦悩を味わっている状態というのは、生命の源から流れ来る生命エネルギーがそのまま正直まっすぐに運用されずに、個我やエゴのフィルターがかかった業想念の状態となって、生命エネルギーを誤り用いている姿なのであります。

肉体身に眼を転じますと、脳は体の隅々と神経細胞でつながっていて、体の各種組織は脳からの指令を受けて、それぞれの役割を完璧に遂行して、肉体身を維持しています。

そのようにして人間の心身は、脳をとおして自我を意識し、自己の体を認識すると同時に内外の世界を感知し、体そのものは表面意識(個我)が「こう動け」と命令しなくとも、自然の働きとして新陳代謝による生命維持を行ってくれていることで、社会生活を営めております。

その状態を霊的な側面から単純化して観れば、生命本源の光である神性の光明(神体、本心本体)が霊体をまとい、その霊体の上にさらに粗い波動の幽体をまとい、肉体誕生時には魂となり、魂にはく要素(物質体の元となる種々の元素)を引き付け霊魂魄れいこんぱくとなり、母胎に宿って以降は、精子と卵子の結合体のなかで魄要素を肉体身に変換形成することをとおして、肉体の赤子として誕生をし、誕生以降は肉体の成長とともに、脳機能の発達成長を促す各種学習をすることで大人になって、それ以降の人生をみずからの脳(心)と体を働かせて、能動的に切り開きつつ、生きているのであります。(次回に続く)