アセンションに至る心と脳に関する話④

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(前回の続き)

脳を惰性的に使ってよい時代は終わった

私たちが肉体をおのが体として生きてゆくうえで、大切な働きをしてくれている脳は、心の働きが物質化して転写された場所であります。

この脳に何らかの原因で故障・破壊が起こった場合には、肉体機能の一部が不全になったり、精神の異常をきたしたり、その損壊の程度が激しければ、人は一瞬にして昏睡状態に陥ったり、魂がその時点で肉体を離れることもあります。

それほどに大切な脳でありますが、私たちはこれまで、脳の詳細な構造や各部の働き等を知らなくとも生存してこられました。

それはどうしてかというと、その詳細な構造や働き等を知らなくても、直感的に、なんとなくにでも、扱えるものであったからであります。

それはちょうど、その構造や各部の働きを知らなくとも、誰でもリモコンを使ってテレビを観れたり、掃除機を使えたり、スマホを扱えたり、エレベーターに乗って目的階に行けたり、果ては、拳銃やミサイルをも扱うことができるように、脳を使うことも各種の道具と同様に、直感的に扱えるものなので、各人が思い思いに脳を使い、善悪混交の使い方をしてきたのでした。

そのようにして20世紀の途中までは、一人一人が好き勝手な想念を発して言行していても地球は存続してこられました。

しかし、不完全な(便利さの一方で短所がある)科学技術が進んで以降は、これまでと同様の意識の用い方、脳の使い方をしていては、地球を破滅させかねないことが誰の目耳にも明らかになってきました。

それは、不完全科学が発達したことによって、軍事・経済目的による自然環境の破壊が、それ以前とは比較にならないペースで進んでいるからであります。

それ以前に、そのような不完全な科学のあり方になっている原因が、地球人の幼い精神性にあったという意味では、精神の不調和さが不完全な科学力に反映されて現れていることでもあるので、精神文明も科学文明も、根底から見直さざるを得ない、という側面もあります。

とにもかくにも、これまでのように、個人個人が脳を惰性的に使って生きてゆくことは、現代では、地球滅亡の片棒を担ぐ行為になりかねないことがハッキリしてきたのであります。

習慣性の想いに流されて、脳を惰性的に使ってよい時代は終わったのであります。

言葉を替えれば、脳を惰性的に使うということは、昔、高度経済成長時代の日本がそうであったように、各地の工場が有毒ガスを含む排煙を思い思いに排出した結果、広範囲の空気が汚染され、汚濁のひどいところでは光化学スモッグが発生したようなことが人間の精神面でも起こっており、人間の発する想念も同じ理で工場の排煙のように地球を汚していたのだということが、誰の目にも明らかになる時代が来るのであります。

そのような状況は、ある程度の意識進化を果たしつつある人にはすでにハッキリと観えているのですが、そのような精神性が覚醒していない人には、未だ観えてはいないようであります。

また、自動車や自転車・歩行者等が車道や歩道を使って移動する際の決め事として交通法規がありますが、人が肉体の運転手として、脳を正しく使いこなし調和して生きてゆくためには、人生の交通法規にあたる真理を学び知ることも大切なことであります。

なぜならば、交通法規を知らずして、または守らずして自動車を運転すれば、スピードの出し過ぎでカーブを回りきれず横転したり、信号無視で交差点に突っ込んで出会い頭の衝突事故を起こしたりするなど、自他の人生をメチャクチャにしかねない交通事故を起こす可能性が高いのと同じで、脳の使い方を間違えると、自他の運命をメチャクチャにしたり、そのような人が大勢出てくると、地球の運命をも破壊しかねないからであります。(次回に続く)