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他人を悪く思いたくなったら読む文字のサプリ(前編)

他人を悪く思いたくなったときには

想いのあり方を見つめ直す

「どうにも好きになれない人がいる」、「よく思えない人がいる」というようなときには、一日のなかでほんの数分でも一人きりになれる時間を見つけて、自身の想いのあり方を見つめ直す機会をつくりましょう。

それは、お風呂やトイレ・布団のなかでもどこでもかまいません。

その機会に心を落ち着け想いを鎮めて、心の奥を内観してみるのです。

自分の心のなかを俯瞰的視野で観て、原因と結果の正しい有様を明らかにすることで、想いが神域の意識に立ち戻り、調和した人間関係を再構築しやすくなります。

内観する瞑想法

瞑想できる時間と空間がある場合には独り座して(可能なら正座、足腰等を痛めている場合は椅子でも寝た状態でも可)、生命の源へつながる印(両手の人差し指と親指で鎖がつながったような二つの輪をつくる → 無限マークの形。下図参照)を両手で組んで膝の上に置き、まぶたを閉じて、眉間の中心やや上方(第三の眼の場所)に閉じた眼球の焦点を合わせて、深い呼吸(吸う、止める、吐くで1分を目安。初心者は30秒)を繰り返しながら、自分の心の奥を内観してみましょう。

また、意識が生命の源とつながりやすくなるためには、深い呼吸をするときに、腹部を引っ込めて横隔膜で呼吸することを心がけるとよいのですが、その際の深い呼吸をホンモノにするコツは、息を吐き切り肺のなかを空っぽにしてから開始することと、吸うときに喉仏を下げることです。

本当に深い呼吸が板につくためには、肺臓を全活用することが不可欠であり、そのときには喉仏が自然に下がっているものなのです。

また深い呼吸をしているとき、同時に真理の言霊を心の声で発声しましょう。

その方法は、吸うときには「私は神性そのものの存在である」と呼吸の長さに合わせてゆっくりと宣言をし、止めているときには「すべては大調和している」と宣言し、吐くときには「すべての人は神性そのものの存在である」と呼吸の長さに合わせてゆっくりと宣言をします。

そうした意味の言霊を心の声で発声しつづけながら、内観の境地を深めてゆきます。

瞑想をとおした内観中の意識の用い方

そうして、その間に脳裡をよぎる様々な想いの波状を、「ああだ、こうだ」と思わず(善し悪しのジャッジをせず)に、空を流れ去りゆく雲をボンヤリと眺めているときのように、ただただジーッと見つめつづけるのです。

そのときにもしも何かを思ってしまったとしても心配することはありません。

その想いさえも流れる雲と観て、サバサバと心の空に解き放ちましょう。

数分間そうしてみて、なんらかの気づきを得て、相手の神性を認め観ることができ、心の霧が晴れたなら、この先の文章を読む必要はないので、ここで読み終えてもかまいません。

逆にどう冷静に振り返ってみても、「相手が悪く思わせる言行をしてるのだから、私がその人を悪く思うのは当たり前だ」と思えた場合には、そう思えるもっと心の奥に、本当の原因が潜んでいるのではないか、とさらにそのまま自問してみましょう。

またそんなときのもうひとつの想い方は、自分の言い分、心の立ち位置が本当に真理にかなっているのかを、表層想念の奥に初めから在るいのちそのものの響き = 自身のハイアーセルフにたずねてみることです。

そのときに返ってくる答えは、通常の場合はみずからの第一直観としてひらめきます。

なぜならば、姿を現したり声の響きで伝えると、肉体人間がそれにとらわれてしまい、表面意識が興味本位に流されて、神性から遠ざかってしまう人が多いため、真実のいのちの光は霊能的な現れ方をしないことが多いからです。

霊能的に見聞することがあった場合には

そうしているときに、霊能的に何かを見聞してしまう場合には、それらをも流れゆく雲を見つめているときのように、なんの感情も起こさずつかまずに、消え去るのを見届けましょう。

なかなか消え去らない場合には、自分の願望としてそうした現象を欲する想い(心の隙)があるのを幽界の生物(未成仏霊)が見逃さず、この世にいたずらを仕掛けるために入り込もうとしている状況ですので、「私は本来いのちの光そのものである。ハイアーセルフは私自身のハイスピリット(高級神霊意識)であるから、姿を現したり声が聞こえたりするのは、すべて魔境(魔鏡)の現れであり、消え去りゆく幻想・幻覚・幻聴である」と繰り返し繰り返し宣言をして、そうした状況をハイアーセルフと(とも)に消し浄め、みずからのいのちの光のなかに入り込みましょう。

そのような現れをつかんだが最後、みずからの潜在意識やそれを利用して現れる未成仏霊がなりすました偽神仏に心身を乗っ取られて、意識進化の行程が大変な遠回りになってしまうこと確定です。

真実の神仏や宇宙天使は、こちらの意識が神域の波動圏に入り込んでいないかぎりにおいては、簡単に姿を現したり名を名乗ったりして、みずからの存在をこちらにアピールして来ることはありません。

だからそのようなことには一切興味をもたずに、みずからが真実のいのちの響きをひたすらにあらわし生きることだけを主眼として、こうした内観に取り組む心の姿勢を保つことがよいのであります。

想いの使い方の誤りを正直に認める

私の体験

話を元に戻しますと、私自身が実際にそうしてみて、体験として断言して言えることは、自分が他人を悪く思ってしまっていた、誰かを嫌っていた真実の原因は、己の想いの使い方の誤りにあったのでした。

「相手が悪いから自分がそのように思ってしまうのだ」という想念習慣は、真理の観点から見ればどのように甘く割り引いて観ても、自己弁護以外の何ものでもないものだったのです。

このことは私自身、大変に心の目耳や胸が痛くなった話で、「できることなら見たくない、聞きたくない、逃げたい、ご遠慮願いたい」と、そのようなときにはエゴが心の暗闇で暗躍をして、真理の言葉の響きから自分自身を引き離そう引き離そうともがいておりました。

カルマ想念群は、肉体人間に真理に気づかれては困るのです。

彼らは自分が無くなってしまうことを恐れて、徹底抗戦を挑んでくるのです。

カルマ想念を感じ切ったときに起こる変化

しかし、想いの痛みが伴うこの視点から、静かに燃える勇気を心にかかげて、否定や批判や反発心でうずいている想いの波をジーンと観じ切りますと、ついさっきというか、今の今まで自分を守ろう守ろうと必死にうごめいていたエゴの想念想いの波が消え去ってしまって、酔いから醒めてシラフに戻ったときのように、とても理性的な感想として、「ああ、自分が相手を悪いように独り決めして断定してしまってたから、そのように見えていただけだったんだなー」、「相手がいいも悪いも、好きも嫌いもなかったんだなー」、「私の貼ったレッテル独りよがりな決めつけをとおして、相手をそのように見てしまってたんだなー」、「自分の認識でもって、私は私を取り巻く生活環境や人間関係をつくっていたんだなー」、「私が認識する世界というのは、私の想いがつくったもの以外の何ものでもなかったんだなあー」と、真理の観点からただ正直しく過去の自分のあり方を振り返ることができるようになるのであります。

と同時に、そのとき以降の自分自身は、他人を悪く思おうとする想いのクセがいつものように頭をもたげてきた瞬間に、「ああ、今まではこの想いの波に巻き込まれて理性神性を見失って、カルマ波動を増産してきたんだったな」と、過去の習慣に流される寸前で踏みとどまり、他人を自分勝手にジャッジせず、ありのままの自他を見つめられる自分に変貌を遂げているのであります。

これこそが、この内観の効果・効能なのであります。(次回へ続く)