他人を悪く思いたくなったら読む文字のサプリ(後編)

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(前回のつづき)

意識進化のプロセスで

成長過程のあり方

しかし人の成長というものは、なんの進歩も実感できない年月を、挫折や成功の紆余曲折を体験しながらしばらく生きては、突然急速な進歩の時旬を体験するという繰り返しをしているものですので、一度の成果が現れたことをもって二度と同じことを繰り返さないとはかぎりません。

自分の想いの森に敷きつめられた落ち葉の中に、そうした想いの性質がまだ隠れ潜んでいる場合には、そのうちにまた過去の想いのクセに流されてしまい、他人を悪く思ってしまう自分を見つけては後から後悔や反省をして自己嫌悪にさいなまれたり、逆に己を奮い立たせて軌道修正をはかったり等の経験を積み重ねてゆくことになります。

この世には本来、悪い他人や嫌いな人など存在しない

そうした体験を通過してきた者として言わせていただきますと、冒頭にも申しましたように、この世には自分にとっての悪い他人、嫌いな人など、本来どこにもいないのであります。

それは、全部自分のレッテル貼り、ジャッジ、認識・認定・決断・決定等を元に、日々何気なく脳裡をよぎる想念がそれらの決めつけを上塗りして塗り固め、より強固なものにして、抜き差しならない固定観念にまで成長させた状態なのであります。

日常の中でなすべき大切なこと

肉体を持って生きているかぎりは、「イヤだな」と思うこともあるでしょう。

他人の言動に、「ムッ」とする瞬間もあるでしょう。

それはそれでいいのです。

大切なのはその直後です。

その直後にどのような意識の用い方をするかによって、私たちは未来の運命を天上のものにも地底のものにも、変える力を持っているのです。

他者が自己の運命を決定づけることはない

自身の想い方で決定づけた内容を現実としてみている

誰か他の人が自分の運命を左右することは絶対にありません。

他人が自分に何かを思わせているのではないのです。

「○○はこうだ」、「△△はああだ」と、自分自身の想い方で決定づけて見たとおりの自他を、人は自分でつくり出して見ているだけなのです。

選択・決定・行動の自由をどう生かすか

人間には、いのちの大元から選択の自由が与えられています。

何をどう思い、何を決め、いかように行動するか、すべての判断と実行の決定権をもっているのが人間なのです。

そうした自己の自由に使える決定権を誤り用いて、私たちはこれまで肉体に張り付いた感情想念 = カルマ想念の雪だるまを転がすだけ転がして大きく育ててきたのでした。

そして転がりつづけるその雪玉の勢いに巻き込まれて、散々な苦悩を味わってきたのでした。

想念の雪だるまを大きくしないために

想念の雪だるまを大きくしないコツ

ということは、そのような繰り返しをしたくなければ、雪だるまを転がして大きくするような意識の用い方をしなければよいということになります。

神性に根ざしていない想念に丸め込まれて身動きできない状態にならないためには、前述のように“連続して持続的に肉体に張り付いた考えを巡らさない”ことが、その雪だるまに巻き込まれないコツなのであります。

カルマ想念というのは、いちいちその場その時々で断ち切って、カルマ想念が脳裡をよぎっても小さな粒に押しとどめておくとよいのです。

光の言霊 = 祈りとともに生きる

そしてその直後に、みずからが発する光の言霊の響き(ポジティブな想い)に乗せて、いのちの光の世界で溶かし消すのです。

例えば(ほかにもいろいろなバリエーションがありますが)、「愛深い私でありますように」、「みんなが幸せに生きられる世界でありますように」などの想いです。

それによって、人は悪しき習慣性の想念がどんどんどんどん薄くなり、やがては目にも見えない塵芥ちりあくたのような響きになってくるのです。

そうなるともう、自分を不愉快にするような想いの波(カルマ想念)を他人が自分にぶつけてくるようなことが仮にあったとしても、今までなら「イヤだなあ」と思う言動を他人がしてるのを見聞したとしても、相手の波に巻き込まれ同化して、同じ穴のムジナになることがなくなってしまうのです。

この状態はもう、本当に楽な精神状態なのであります。

なぜならば、心臓がバクバクしたり、感情想念がチリヂリに乱れたりといった、周囲にも悪影響を及ぼし、自分の心身をも痛めつける想念エネルギーを、自分自身が発することがなくなるからであります。

生命権能を自己責任で運用しよう

相手が悪いと思う心のあり方は、自己の生命権能を他に明け渡している状態なのであります。

相手が悪いと思っているのは自分のほうであって、自分が相手を悪く思わなければ、自分が生きる世界のなかで、悪い人、嫌いな人がまったく存在しなくなるのです。

このことは、目耳が慣れていない場合には、大変に厳しい話にとらえられるかも知れませんが、本当の事実なのであります。

自分の運命は自分が決定しているのです。

そのなかの一部の想いの動きとして、他者へのジャッジがあるのです。

例えば、田中、鈴木、佐藤という3人の人がいて、田中さんと鈴木さんが佐藤さんを見て、田中さんは佐藤さんをいい人だと思い、鈴木さんは佐藤さんを嫌な人・苦手な人・嫌いな人と見るようなことが、世の中ではたくさん起こっているのであります。

その原因は、佐藤さんが田中さんや鈴木さんにそう思うように強制しているわけでも、そう思わせているわけでもありません。

田中さんは自身の決断決定権を用いて、佐藤さんをそのように見たのであり、鈴木さんもまた自身の決断決定権を用いて、佐藤さんをそのように見たのであります。

自分が他人を悪者のように見なければ、自分の世界には悪者は存在しないのです。

意識を正しく用いれば、今までは苦手な人を好感をもって見たり、温かく見守ることができるようになったりするのです。

原因結果と結果原因の理について

苦悩にあえぐ人たちの運命の根底にある法則

最後に、物質界というか、人間の意識が神性に届いていない世界に共通の法則について説明します。

これは、仏教思想に代表される因縁因果・原因結果の法則です。

すべての出来事、人間関係や世界の動きなど、すべての現象は、そうなるべき原因を人間たちが過去にこしらえたがゆえの結果である、という考え方であります。

これはまったくの事実でありまして、この世で苦悩にあえぐ人たちのなかで、この理の外に生きている人は一人もいません。

意識進化を果たした人以外は全員、この法則のなかで生きているのです。

これは、苦悩にあえぐ人たち全員の、運命の根底にある法則なのであります。

意識進化後の運命の根底にある法則

意識進化後の運命の根底にある法則は、まったく逆であります。

すなわち、結果を先に画いて、原因を積み重ねてゆくのであります。

先ほどとは逆に、結果原因の法則とも呼べるものです。

自らの運命を自身が創造しているという原理を、自己責任でハッキリと認識している人のみがこの法則下に生きることができます。

現状の地球でも、少なく見積もって数千人の人は、こうした法則の下に生きています。

皆さん、思い思いの人生を、一人の例外もなく調和裡に築きあげておられます。

誰をも不幸にせず、みんなが幸せになる生き方がこの世界にはあるのであります。

ここは、未来の地球人類の生き方を、体験入学的に経験できる波動圏なのであります。

またこの世界は、これから全人類が入ってくる世界であるため、急ピッチで意識のインフラが整備されている最中でもあります。

神域の意識を思い出す人の数は、今後ますます増えてゆくことが予想されます。

そのときに、正しい意識の用い方を案内する道先案内人の数は、まだまだ足りていない状況です。

一人でも多くの人がこの道先案内人として立ち上がり、人類の行く手を照らすことができますよう、心からお祈り申しあげて、この章を終わります。