運について(後編)

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(前回の続き)

天命運を生きるために

ただしここで、ひとつの制約があります。

といっても、悪い意味での制約ではありません。

それは、本人の神性に根ざした天命運から外れた運命は画き得ないということです。

極端な例を申しますと、他人に迷惑をかける天命運を持っていない人は、どんなに頑張っても他者に迷惑をかけることができないし、王侯貴族になる天命のない人は、それを望んだとしてもその立場から庶民を導くことができません。

また、文系的な資質を開花する使命のある人は、理系の仕事で開花することは難しく、理系の資質を開発する天命のある人は、文系分野で活躍することは難しいということもあります。

そのような生まれてきた目的に反することをやろうとする場合には、やって出来ないことはないのですが、あまり大きな活躍は望めないということも覚えておくとよいと思います。

人は誰でも天命をたずさえて生まれてきております。

しかし、それは何処かに書いてあって読めるわけでも、誰かが教えてくれるわけでもなく、みずからの人生のなかでそう導かれて自然に天命の道を生きていたり、努力精進の日々のなかで表れる内的直観(ひらめき)によって自己の進むべき最適な方向性を自覚して、そのような道へ向かって歩んでゆくといった類のものであります。

最後に運命についてまとめますと、運命を表面的に観れば、先天運と後天運に分けて観ることができ、それらすべてを超えた大元に天命運があるということであります。

いのちを最適に活かした人生は、先天運も後天運も超えた天命運を生きる心身に表れます。

なぜそうなるかと申しますと、一番最初に述べた先天運と後天運は、肉体と幽体・霊体に付随する運命であり、天命運とは、神体の光を肉体に活かした運だからであります。

運気の流れは肉眼には見えませんが、真理に則った生き方をすれば、必ず先天運を乗り越えて後天運に入り、そこから100%の運命が書き換わることによって、天命運となって表れてきます。

しかしそれは、一朝一夕になされるものではありませんので、先ばかり見て転ばぬように、足下の一歩一歩を確かめながら、地道に、着実に、意識進化の道を生かれることが、最終的には最短の近道となって、何にも動じない不動心とともなる天命運を生きることになります。

一番よいことは、今が自他ともに客観的に見て幸せとはいえないような境界にあっても、それを不幸とは認めずに、心の太陽を明るく灯し、いのちの光である元気を周囲に振りまいて生きることです。

そうして生きてさえいれば、理屈抜きに必ず運命が開けて来るのですから……。(終わり)