真実の愛行は超能力に勝る

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アセンションと超能力は関係ない

「アセンションするためには、超能力は必要か、超能力があればアセンションできるのか」という質問がございましたので、本日は、それに関連して、真の愛行と超能力等の必要性について話をいたします。

上記の疑問については、結論を先に申せば、どちらもまったく関係ありません。これは全く的外れな結び付けでありまして、同じことは、霊能力の類についても言えるのであります。

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どんなに物理的にものを動かしたり、形状を変化させることができても、空中に浮いたり、テレポーテーションすることができても、その他のどのような能力を持っていたとしても、心が嘘偽りなく愛一元の心境になっていなければ、真に意識進化を果たし、アセンションすることはできません。

真愛なき超能力がもたらすのは、破壊の未来、破滅の結末であります。今回の文明もそうですが、一番顕著な過去の過ちは、太古の昔における幾つかの文明滅亡の顛末であります。それは、まさに真愛なき超能力、霊能力等による自滅でありました。

「超能力を得たい、持ちたい」という想いは、何らかのコンプレックスの裏返しです。「自分は不完全で、何かが足りない、欠けている」という自己認識の反転衝動として、「だから超能力を得たい、持ちたい」という想いが湧き上がってくるのであります。

心に虚栄心や権勢欲をくすぶらせていたり、「人より優れて見られたい、人の上に立ちたい」と願う願望を隠し持っていたり、「注目をあびたい」、「目立ちたい」、「〇〇を見返してやりたい、振り向かせたい」等の想いを抱いた心境で超能力の開発を行い、それを身につけることは、意識進化して心身を次元上昇(アセンション)させることとは、全く何の関連もないのであります。

大切なこと

大切なことは、心が愛深くあることです。そして、その愛を実際面の《行い》に表すことであります。

自分の都合で簡単に近づいたり離れたりするような感情は、とても愛とは呼べる代物ではありません。真実の愛行とは、《自分が自分だと思っていた自分が消え去った心境で想念言行すること》なのであります。真実の愛には、一切の私心がありません。「自分が疲れているから愛さない」とか、「面倒くさいから後で」など、そのような想いは肉体に張り付いた感情想念であって、真の愛をそのような感情と同列に並べて思うことは、心の三半規管の異常で《愛の平衡感覚》が狂ってしまっている状態なのであります。

大切なことなので何度も申しますが、愛の心には、私心(感情)が入り込む余地がありません。ですから、感情想念を自分だと思っている意識では、真の愛行を為すことはできないのであります。

このことを思うと、親の子に対する愛、特に母親の子に対する愛は、個人差はありましょうが、私心のない立派な愛行だと、感嘆せずにはいられません。これから先、地球が真に平和な星になるか否かは、この《真実の愛行》が、世界中でどれくらい為されるかにかかっているのであります。

そう考えてゆきますと、エゴ的感情は、男女どちらともが持ってはおりますが、その裏側に隠れている愛が表面化しやすいのは、やはり女性のほうであります。男性は、自己顕示欲や意固地さや羞恥心が邪魔をして、内在している愛の光が表面化しづらいのであります。

また人間は、苦労を重ねた人ほど人間の幅が広がり、それに比例して、愛も深まってゆきます。世界中の男女の苦労度の平均値を計測して観れば、どうひっくり返して観ても、女性のほうが大変な想いをたくさんしてきております。その一番顕著な違いが、女性は子供を身ごもったとき、体内で地上に降りた霊人に育つ場所を提供していることです。生まれ出てくるまでの苦労はもちろん、生まれて以降の子育てにおいても、男性がどう頑張ってみたところで、女性にかなうところはありません。どんなに絞ってみても、父からは乳は出てこないのです。

母子の結びつきの強さは、子の側からすれば、母は自分の生まれてきた場所であり、母の側からすれば、子はみずからの分身なのであります。現在までの一般的な家庭では、父はその妻子を食べさせてゆくために外へ出ている時間が長いものですから、母子の結びつきにはかなわないという面もあります。最近では、イクメンという言葉も流行って、子育てに積極的に参加する男性も増えてきましたが、それでも母子の結びつきにかなうことはないでしょう。

また、男性にはない、子ども(みずからの分身)を産み育てるという経験は、いのちの親の立場というものを、肉体にあって疑似体験することでもありますので、そうした面でも、真(神)愛を顕す能力においては、女性のほうがすぐれているのであります。私は男性ですが、このことは様々な角度から考えましたが、愛を表現するという面において、女性にはかなわないと、しみじみ実感する次第であります。

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男性性と女性性の調和をはかる生き方

話を冒頭に戻しまして、超能力を欲する想いの動きを内面的に見れば、男女どちらにもある男性性の影の面が、女性性の素晴らしさに対するコンプレックスの裏返しとして、《自分を庇い、実物より大きく見せるために、その力を欲している》という想いの動きなのであります。また超能力に限らず、人にない何か、人より優れた何かを欲する想い全般が、そうした男性性と女性性のアンバランスから生じている想いの動きなのであります。

男性性・女性性は、男女どちらにも陰陽として併せ持つ、意識の性質の分類であります。その分類のうちの男性性自身が、みずからの性質のよさを認め、同様に女性性を尊敬し、男女性それぞれを個人の内でバランスよく表すことができれば、超能力などを求める想いは生じないのであります。

そのような心の背骨のゆがみを癒すためにも、真実の愛が必要なのです。真の愛行がなければ、この世の潤いは失われ、カラカラに干からびた精神性が、過去の文明の過ちと同じように、この星を痛めつけてゆくことになってしまうのであります。

愛の行いより大事なことはありません。その愛の行いのなかでも一番大きな愛の働きは、自分の都合はひとまず脇に置いて、天界に出来上っている地球全体の調和の様相を、地上に降ろす意宣りを為すことであります。意宣りとは、意を宣り出す、即ち《いのちの光の宣言》なので、その意宣りの光明力は、《為せば成る》・《為して成った》結果を、必ずや地上に描き出してゆくのであります。