AIと人類の関係性に想う

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人工知能は人間を凌駕するか

日々接するメディア情報のなかで、『AIに仕事を奪われて失職することが予想される人たちの職能をケアしなければならない』という言説の文章を見かけることがあります。

AIとは、《artificial intelligence》という英語の略語で、人工知能のことです。

冒頭の文言は、未来予測に基づいた傾向と対策といった知的な考察なのでしょうが、私はこうした考えを、“真理を知らないが故の取り越し苦労”と観ています。

こうした言説が流されることは、この世的に機械に無知な大衆の不安をいたずらに煽り、建設的な未来の創造を妨げるものです。

私たちがこのブログで一貫して伝えていることですが、“人間というものは、『本来はすべての人が神性の存在』なのですから、『自己のいのちの権能を他に明け渡してはならない』”のです。

人というものは、「人間とは無力(非力)なものだ」という誤った観念を潜在意識の底に沈殿させたまま放置しておりますと、そこから流れ来るネガティブな思考に表面意識を支配させてしまい、生命本然の世界から流れ来る“無限なる能力”や“無限なる可能性”の力を遮断してしまいまして、それが度を超すと絶望感にさいなまれるようにさえなるものであります。

『AIに仕事を奪われる』という発想も、そうした思考の落とし穴にはまってしまって、“無限なる創造力”という心の太陽が見えなくなっている精神状態から思念される思考なのです。

機械は人間の補助をするのみ

普通に理性をもって考えてみてもわかることですが、人間が機械に仕事を奪われることはありません。

機械は人間生活を助けるものでこそあれ、人間に取って代わるような代物ではないのです。

機械がどんなに頑張ってみても、プログラムに組み込まれた以上のことはできません。

人間には、無尽蔵に湧き上がり来る創造力があります。

機械に任せられる仕事ができれば、人間はその創造力を用いて、さらなる発展に寄与する仕事を見つけ、世界を向上させてゆくことができるのです。

ですのに、「機械に仕事をとられたら人間が路頭に迷う」などと考えることは、自分たちの本質を知らない無知から来る誤解以外の何ものでもないのであります。

そのような考え方にさいなまれることは、「蟻さんに食べられてしまう」という妄想にとらわれて、精神を病んでしまっている象のような、あり得ない精神状態です。

そのようなことは、大地が海の底に沈んで海底が隆起し新たな大地になるようなことがあったとしても、起こりえません。

例えば現在、自動運転車の開発がなされ始めていて、そのことで運転手たちの失業が懸念されています。

もしも実際に、自動運転車が各種職業上の運転手の仕事に取って代わる時代が来たとしても、前述の人間の本質を知って、みずからを磨き高め上げる生き方をしてさえいれば、そこになんの心配もいらないのです。

つぶしのきく人になるために

この世には、『つぶしがきく・きかない』という言葉がありますが、つぶしがきく人間になるためには、人間力を高めることが、唯一無二の根本解決を導く方策なのであります。

人間力を磨き出すことなく、新しい職能の技術のみを身につける等の対策は、世の移り変わりとともに、またいつか失職したなら、またゼロからのやり直しになります。

しかし、人間力というベースが根底にありさえすれば、時代がどのように移り変わり、必要とされる仕事が変化してゆこうとも、そのことで一喜一憂したり右往左往したりする必要がなくなります。

悠然とした心で変化を楽しみながら、新しい仕事をとおして人間力をさらに磨いてゆき、自分のため人のために役立つことがいつまでもできるのです。

そのようなことを志すのに、年齢や性別はなんら関係ありません。

その気を奮い起こすか起こさないかだけが、ただ一つの分かれ道であり、その気が起きない精神状態に自己を押しとどめる想いだけが唯一の障礙なのであります。

人工知能のニュースに接して、「私たちは世の中がどのように変化しようとも、動じることのない人間力を開発してゆくのみ」と、つくづくしみじみと実感したお話でした。