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我が身かわいさのアセンション(後編)

(前回の続き)

利他想念を正直に見つめよう

ゆえに人は誰でも、意識進化がある程度進行し、利他の心が標準意識になったと、自他ともに認める時期が来たならば、そのみずからの発する利他想念が、みずからを抑圧していないかどうかを、正しく審神さにわする必要がある。

このことは、どんなに「そんなことあるわけ無い」と否定をし、見て見ぬふりをしたとて、真の意識進化の道を歩む人ならば、いつかは突き当たる壁である。

いつまで経っても、我が身かわいさの壁を観ないでいる人がもしもあるならばその人は、頑丈な自己欺瞞の要塞を幽体(幽界次元にあるボディ)に築き、そのなかに入り込んで要塞の外にある天空(いのちの光)を見上げることなく、自己満足の蜜の味に陶酔してしまっているのである。

人は誰でも、いつかはいのちの光をそのまま発光した意識に還らなければならない。

還らないとするならば、偽善や欺瞞の境涯を抜け出すことができないのである。

そのためには、心を正直に俯瞰する必要がある。

肉体を持つかぎりは誰でも、自分の所属する国家や民族の平和や平安を第一に考えてしまうものであり、自分の所属する職場や組織の利益や損得を優先してしまうものであり、他人の家族よりも自分の家族の幸せや健康をまず第一番に願ってしまうものであり、さらに突き詰めて観れば、他者よりも自己の身の安全を最優先に考え行動してしまうものなのだ。

その事実を正直に認めたうえでなければ、人は真のアセンションを果たし得ないのである。

我が身かわいさの想いを正直に認めて、それらの想いを抱いたまま、意識まるごといのちの大海へ飛び込めば、人は誰でも肉体を持ちながら神域の意識を自己のものとすることができる。

それは、言うは易く行うは難しではあるが、一切の私心を生命光のなかに投げ出し、生命の根源光との一体化を常に志向して生きるならば、それは必ずできるのである。

我が身かわいさをアセンションさせる具体的実践方法

その具体的な方法は、人類愛の祈り言葉を常に心に抱いて生きることである。

いつなん時、どんな感情想念が脳裡をよぎろうとも、それらの想いを相手取って取っ組み合いをするのではなく、どのような常住想念をも抱きしめた心境で、祈り言葉のエスカレーターに乗り、生命根源の光のなかに入り込むことである。

人類愛の祈り言葉というものは、生命根源の意識そのままの現れなのである。

言葉を換えるなら、大生命の意識なのである。

小生命たる個人の命は、すべて大生命から生命エネルギーの供給を受けて存在している。

その大生命の心は常に、「人類よ、みな仲よく平和であれ。互いの持ち味を活かし、協力し合って、わが理念を地上に現わせ」と願われている。

人類愛の祈りを肉体にあって祈ることは、その大生命の心をみずからの器をとおし発信し、みずからの所属する星の天地にその光を投げかけていることになるのである。

そうして生きていると人はやがて、みずからの心から私心が薄れてくることに気がついてゆく。

ある日振り返ってみて、「あれ?昔は自己都合ばかり優先していたのに、なんかそんなことどうでもよくなったな。不思議なこともあるもんだ」と、思えるときが来るのである。

それこそが、我が身かわいさのアセンションなのである。

そのような意識に深化したとき、みずからの思うこと、語ること、行うことのすべてが、微塵の偽りもなく、真の利他愛に昇華しているのである。

そのときは誰にでも来る。

必ず来るのである。

世界人類の神性を直視して認め、その目覚めを願い祈りつづけて生きてさえいれば、必ず誰もがその境地に至るのである。

なぜならば、人は誰もが神性の存在だからである。

まごうかたなき天来の神性を認め生きる者は幸いである。(終わり)