幸せの青い鳥

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幸せの在処

ベルギーのメーテルリンクという方が書いた『青い鳥』の話は、人間が意識進化するうえでの大切な方向性を示唆している。

その内容を簡単に表現すると、「”見つけ出して手に入れれば幸せになることが出来る”とされている”青い鳥”を探しに、チルチルとミチルが色々なところへ冒険に出掛けるのだが、青い鳥だと思って連れ出した鳥の色が他の色に変色してしまったり、道中なかなか青い鳥を見つけることが出来ずに帰ってきた自宅で、チルチルとミチルは元から飼っていた鳥が青い鳥だったことを知る」というオチで終わる童話なのだが、この童話は簡単な子ども向けの話でありながら、実に真理の核心を突いている。

この童話が教えてくれることは、「幸せというものは、どんなに外の世界に探し求めても見つけることは出来ないが、自己の内側に目を向けよく探せば、初めから自分たちの中に在るのを知ることが出来る」ということだ。

このようなお話を読み聞かせる方が、子ども向けに真理を伝えるためには、つまらないお説教よりもよほど効果がある。

私たち自身の幸福も、どんなに外に探し求めても見つけることは叶わないが、最初から私たち自身のなかにあることを知れば、遠回りせずに元々ある幸せを、最短距離で見つけ出すことが出来る。

要は正しい判断力を身に修めて、正しい認識力を磨き出すことが大切だといえる。

青い鳥を見つけられない人の特徴

人は往々にして、人間関係における自己の満足感の充足を他人に要求する。

声や態度に現さないまでも承認欲求が満たされないと、人は心の中で、「なんでもっと自分を大切にしてくれないんだ」と相手を責め、自己憐憫の繭を吹き出している(悪い運命の種まきをしている)が、そのような態度などは、まったくもって本末転倒だと思う。

人という生命体は、自分が他者から愛されたいと想うならばまず初めに、自分のほうから積極的に他人への愛を表現しなければならない。

そのように心を砕く努力をみずからが放棄しておいて、人には自分を愛してほしいなどというあり方は、動物にも劣る恥ずかしいあり方で、人間本来の神聖なる精神性に逆行している。

本来の精神性に逆行しているということは、人が元々持っている豊かな愛の精神性が退化して発露していないということなので、そのような人はこの『青い鳥』の話を読んで、みずからの来し方に当てはめて考えてみるとよい。

愛を実感するシステムとこれからの人の見方

愛が充足した状態の現れというものは、当人の中にある愛を自他に与えることを通して、肉体の内外にそれを実感出来るシステムになっている。

ゆえに、みずからの内なる愛を十全に発露していない人は、他者からの愛を感じ取ることが出来ずに嘆いてばかりいるのである。

余談になるが、お金を与えることで愛してもらおうとすることなどは、まったく空しい行為である。

愛はお金では買えない、

愛(幸せの青い鳥)は自分の中に在る。

こんな当たり前のことがわからない人にも神性は宿っているため、いつかは幻想の酔いから醒めてシラフ(神性意識)に戻る時が来るのである。

その時には、酔いのさなかにあった時代の愚行を恥じて心を入れ替え、自分を大切にしながらもバランスよく他のことにも心を砕き、積極的に愛の奉仕に邁進する日が来るだろう。

今の肉体人類に多く見られる自己中心性は一過性の姿である。

それらは幼少期にかかる麻疹や少年期に通り過ぎる反抗期のようなもので、いずれはそのような状態を卒業して、本来性の神性をよみがえらせる時が来るのだから、意識進化を志す私たちは、現在どのような言動行為をしている人の話を見聞しても、それらの人々の内部に神性の煌めきを認める眼力を持とう。

そのような認識力を磨いて、自己の周囲から着実に世界を変えてゆくのだ。