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原因結果から結果原因へ

人が生きてゆくうえで現れてくる運命上の現象には、必ず原因があります。よいことばかり現れてくるのなら、「原因は何だろう?」などと思うこともないのですが、悪いこと、よくないことと思ってしまうような現象がつづくと、「どうしてこうなるんだろう?」「何が原因なんだろう?」と考えてしまいます。たとえその原因がわからなくても、「何かの原因がこうやって結果になって現れたんだから、これでもう消えたんだ」と割り切れて、サッパリとした心で前を向ける場合はよいのですが、理屈っぽい性格の場合には、「自分は運が悪い」「なんで私ばかり」「どうしてこうなるのか」などと、いつまでも悩みもがいてしまい、ついには、「私の世界は不幸なのが当然なんだ」と、はらなくてもよいレッテルを自分にはってしまって、みずから不幸の連鎖からさらに逃れづらくなっているケースさえもあるのであります。

それはたとえれば、数学の数式問題が解けないのにも、英語文の解読ができないのにも、わからない箇所があるから解けない、読めないのであって、そのわからない箇所が解消(理解)されてしまえば、数式も解け、英文も読み解けるということになるのと似ています。わからないがゆえに、その場で足踏みをしてしまっているわけです。しかし、もっとよい想い方があります。それは、「過去に作った原因が運命に現れて消えたんだ」と割り切って、今の自分がよい運命の種をまく生き方をすることです。

しかし、性格が理屈っぽい場合には、納得しないと前へ進めない習性ゆえに、そのような想い方、生き方ができない場合があるのです。そうした場合には、徹底的に自己探求をして、過去の原因を探ることになります。それは生き方としては不器用で、回り道のようではありますが、どのみちいつかは誰もが自己の未浄化な部分と向き合って、嫌でもそれを見つめなければならないのですから、自分が理屈っぽい質の場合には、その時が人より少し早く来たのだと割り切って、腹をくくって原因を探ってみるとよいのです。

こんな万人向け(一般的)ではないことを書いているのかと申しますと、まさに私自身が理屈で納得しないと先へ進めない、面倒くさい性格の持ち主だったからです。過去形なのは、いのちの光と直結した直観につながって以降は、考える前に想念の奥のいのちの光に入り、直覚的に現象の背景・原因がキャッチできるようになったことで、原因を探る時間経過がなくなってしまったからであります。

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人が意識進化をしてゆくプロセスには、いろいろな生き(行き)方があります。それは、富士山のような単体の山を登る際に、東西南北どこから登っても、最終的には誰でも登頂できることと同じであります。どのような登り道をとおっても、登りつづけてさえいれば、すべての人が山頂に至るのです。ただ、今回の話のような理屈っぽい質の場合には、道なき山道を登らなければ登頂できないので、これはあまりおすすめできるものではありません。

普通の場合は、できるだけ先人が何人もとおって、通りやすくなっている道を登ってゆくことが、より苦労少なくアセンションする方法であります。その苦労の少ない道とは、《原因をいたずらに追求しないで、前向きに生きてゆく》ということであります。私がしてきたこととまるで真逆なのでありますが、過去をほじくり返すことは、過去に蒔いた種と同じ種をまた繰り返し蒔いてしまう可能性が高くなってしまうので、そうした生き方はおすすめできないのであります。

欠点や短所と思わしき箇所をほじくりまくって生きるよりも、得意分野や長所を伸ばす生き方をするほうが、よほど未来の運命を建設的に築くことができて、今から以降の未来をより明るくすることができるのであります。それは私自身が遠回りをしてみて、身に染みて感じた実感でもあります。《素直は宝》と言われますが、素直じゃなかった私としては、素直な道に入ってみて、「ああ、ほんとうにそのとおりだ」と深く実感している次第です。

そして、地球の次元上昇が進行中の2010年代、地球の一部が高次元波動圏に移行したことにより、さきほどのモアベターな生き方よりも、さらに意識進化を促進する生き方が身近になってきました。それは、原因結果、因縁因果といったこれまでの常識的な時間軸を超えて、未来を先に描いて、それを現実化してゆく生き方です。過去から未来へ流れる時間を生きるのではなく、未来から過去へ流れる時間を生きて、現実創造をするのであります。それは、宇宙根源の創造意識が、宇宙空間を創り、各種次元を創り、恒星や惑星を創り、それらに多様な生命を誕生させ、個々の星の運行を行うにあたって、大生命が最初に使った手法を倣うことでもあります。

それは、宇宙の始まりには、原因はなかったにもかかわらず、結果が生じたのはどうしてなのかという疑問に対する回答です。この概念を意識に導入することは、因縁因果(原因があって結果が現れる)という、人類にとって抜け出しがたい物質界(3次元)の法則から飛翔し、神性意識を自由に駆使して現実創造を行う高次元の生き方なのであります。

そのような世界に意識の軸が入り込むと、自分が過去につくったあらゆる因縁をも、現れて消えようとする以前の段階で、創り変えることさえ可能になってくるのであります。但し、こうした生き方は、ある程度意識進化が進んでアセンションした意識状態にないまま行おうとすると、<自我欲望念力による引き寄せ》と《神性意識による創造活動》の区別がつかず、世界を不調和に導く行動にもなりかねませんので注意が必要です。

投げやりの蟻地獄にはまり込んだ意識状態以外の人で、幸せになりたくない人などおりません。今の自分がどのような意識状態で生きていて、これからどのようになってゆきたいのか。それを顧みたうえで、そのような世界もあるのだと、認識していただければ幸いです。《意識の軸足を何処に置いて生きるか》といった生き方に関する選択肢は、個人の裁量に委ねられているのであります。