楽しんで果たす天命

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《天命を果たすために生まれてきた》、《天命を果たすために生きている》とだけ聞くと、「それはさぞかし窮屈な生き方だろうな。そんな想いの使い方をしてたら病気になってしまうぞ」と思われるかもしれませんが、天命を果たす生き方と一口に言っても、実にいろいろな生き方があるものなのであります。

天命とは、天(いのちの元の世界)からこの世にもってきたみずからの使命、生きてゆくうえでの目的、大命題です。多くの人は霊なる自分を認めていませんから、自分に天来の使命があるなどとは、露程も思いよらないでいるのです。しかし天命というものは、地上に生きるすべての人類がそれぞれにもっているもので、天命のない人など一人もいないのであります。

その天命を果たす道を大きく分けると、二つの生き方に分類されます。ひとつは、眉間に皺を寄せたような顔で深刻に取り組む生き方。もうひとつは、天命を果たすことに無上の喜びを感じている生き方。どちらがよいかは言わずもがなですが、自分の生き方に喜びを感じないでいるならば、それは、現在の意識レベルに相応した取り組みではないといえましょう。

意識進化の道は、楽しんでこその道であります。それでこそ、進化向上のスピードも速まってきます。しかしだからと言って、出せるだけのスピードを出して車(心身)を運転(生き方)していたら、それはそれは命がけの運転になってしまいます。想像してみてください。普段は40キロから60キロで走っている道路(人生)を、その車がもつ最大のポテンシャル、最高速度を出して走っていることを‥‥‥。

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現状の地球世界では、精神世界ばかりに目を向けて生きていたならば、人と人との交流がスムーズに行われません。この星の現状を深刻に憂い、自分の日常生活も顧みずに地球救済活動に取り組んでいたならば、まず第一の基盤たる生活が立ちゆかなくなります。体を壊すことにもなりかねません。大切なポイントは、中庸のこころでバランス感覚をもって、日々為すべきことを感情想念を交えずに、淡々と為してゆくことであります。

そのためには、天命を果たすことを楽しんでいる意識、余裕のある取り組み方が大事になってくるのであります。心の奥底には絶大なる大信(神)念を抱きつつも、表面上はそれを微塵も見せず、ただの人にしか見えないような、そんな生き方のなかで天命を果たしゆくことこそ、地上の救世主たるアセンション先駆者たちに必要な生き方なのであります。

それは、常識を外れずに常識を超える道であります。その生き方が非常識に陥らずに、常識を超えて、超常識ともいえる生き方をしていることなのであります。日常生活で自分がどんな人なのか、たまには他人目線で見てみることも意義あることです。何故ならば、意識の客観性なきところに、非常識な言動行為が為されているからであります。

あのオーム真理教や旧統一教会、街頭で「神の前に跪きなさい」などとスピーカーで演説している集団、一部の日蓮宗系信者の狂信的折伏活動等々を持ち出すまでもなく、傍から見て「どうかしてる、あのひと」と思われるような振る舞いは、日常生活、仕事や家庭、友人関係のなかにあっては、なさらないのが賢明です。家族があなたの生き方に理解を示して、魂の同志としての活動を行っている場合以外は、家のなかなどでも非常識な言動行為は、控えたほうがよいでしょう。

他の人に、「だめだ、ありゃ」と思わせるような生き方にならないためには、今の段階では、やはり客観的な視野をもって、時々は自分を顧みて、日々反省をしながら前に進んでゆくことが大切です。そのポイントは、調和を旨として進むことであります。自分の信じる道がどんなに間違っていないと思えても、それを周囲の人に強制したり、自分の信ずることをこれ見よがしに見せたりすることは、人々の心に調和ならざる響きを感じさせますので、よかれと思ってやっていることが、軋轢・不調和を生み出していることもあるのであります。

あなたのなさっていることが、真に宇宙法則に適った生き方である場合には、やがてみんながあなたの行ってきたことを、理解され、感謝されるときが必ず来ます。それはどのようなときかと申しますと、あまりハッキリ言うと語弊があるので比喩的に表現しますと、天地がひっくり返るような出来事が、世界規模で起こるときが来るのであります。そのときには、今までの常識が一切通用しない、常識にそって進もうとすれば行き詰まる、そんな時代に入ってゆくのであります。(まだ一部ではありますが、そのような世界にすでに突入している)

その世界規模的展開は、今生きている人たちが肉体界に生存している間に起こります。地球の霊化、アセンション・次元上昇は、肉体人間側の想いが認識しているよりも、急速に進行しているのであります。「常識を超えた意識視野を、当然認識にしておいてよかったな」と、心の底からしみじみと思う日はもうすぐであります。

常識の外に出て、なおかつ非常識にならず、常識を超えた生き方をすることは、意識進化を果たすうえで大きな力となって、みずからを後押しするでしょう。その際に大切なことは、あくまで表面上は普通の人に見えるように、自らを律して生きることです。

また、内面的にも、自分ができることをできていない人に対して、みだりに責めたり、裁いたりしないことであります。自我(エゴ)が抜けきらないうちは、そこのところを勘違いして、「なんでできないんだ」と腹を立ててしまう愚を犯してしまいがちです。例えば、自分が薬を飲まなくても病気を治せる人が、周囲の人にも「薬なんか飲む必要ないよ」などということは、余計なお世話なのであります。

人にはそれぞれの進むべき道筋があるのであります。それは本当に千差万別で、一人として同じ道ではないのです。そのそれぞれの天命まっとうに至る道を、みんなが楽しんで、こころに余裕をもって取り組まれたなら、日本の国もさらによい国となり、世界の人々の参考になって、地球全体の意識進化に一役買うことになってゆくのであります。

大事なことなので繰り返しますが、みずからの日常の生き方としては、決して人並み外れた能力をひけらかしてはいけないのであります。何も知らないように、何もできないようにふるまうのです。自己主張する周囲の人々に対して、ただ黙って、真理の光を当てつづけるのです。《能ある鷹は爪を隠す》なのであります。