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表情とアセンション

これは、私への自戒も含んだ話ですが、無意識でいるときの表情や人相には、その人のもって生まれた性質や現在の心境、果ては霊格までもが表れることがあります。外で人と接している場面ではよい顔をしていても、一人でいるときや、家に帰って家族といるときに仏頂面をしていることが多い場合には、表情に注意を払い、意識的に眉を伸ばして、口角を上げるように努めましょう。

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無意識のときに眉をひそめ、口角を下げた顔でいることは、《いのちの光》の表れを遮り、魔が忍び込みやすい状態になっています。何故ならば、物質と精神の霊化が急速に進行中で、未だ次元上昇の完成していない現在の世界は、汽水域のようなものだからであります。

汽水域とは、海水と真水が混在している水域です。それと同じで現在の世界は、過去のどの時代よりも明確に、神性意識と業(カルマ)想念が分かれて混在している世界なので、意識的に生きなければ人間の想いは、低いほうへ、楽なほうへと流されがちなのであります。それは、泥が水底に沈んでゆくのと同じ原理であります。

眉間に皺を寄せた暗い表情や怖い人相でいることは、人に与える印象がよくないばかりか、常住想念を暗い世界に縛りつけて、前向きに生きているつもりでいながら、欠点短所を認める想いや不平不満の波動とバイブレーションが一致してしまい、知らない間にカルマの波に、飲み込まれていたりすることもあるのです。これは単に、後ろ向きな想いの人だけの話ではなく、真面目に意識進化やアセンション、地球の平和等を願い生きている人たちにも、ありがちなことなのです。それは、《真剣》と《深刻》の履き違えから起こる勘違いの状態(境地)なのであります。

どんなに正しいことを想っていたとしても、どんなに意識進化を心掛けて生きていたとしても、いつも眉をひそめて、への字口の人相でいる場合には、想いが神性を離れた暗い状態になっているため、怒りや不満の感情が頭から離れず、欠点や短所ばかりに目が行き、いのちの本質側に立った視点をもちつづけることができ難くなってしまうのです。

そのような境地に陥らないためには、《明るい心がすべての基本である》という単純な真理を、身に染み込ませて自覚することであります。人は当たり前のことほどおろそかにしてしまいがちです。あまりにも当然なことのなかに真理がちりばめられている場合、なかなかそこに重要性を見出しづらいことがあるものです。《明るい心》でいつづける意志を、心の背骨にピッと真っすぐ通している場合には、つい過去の習慣で眉間にしわを寄せている場合などに、「ああ、いけない、いけない」とすぐに気づき、直しやすくなるものです。

またハイアーセルフが、夫や妻や子供、親しい友人など周囲の人を使って、注意をしてくれることもあります。余談ですが、私は責め裁きにとらわれていました。そのことで他人に何か注意を受けると、すぐに反撃に打って出る悪い癖がありました。若い頃はそれを何とも思っていなかったのですが、30~40代の頃に、すぐに反抗的になる自分の性質に違和感を感じ始め、自分が自分を赦していないことが、その根本原因であることに気づき、みずからを赦し癒す言葉をかけつづけた結果、いつの間にかそのような性質は影を潜め、現れづらくなったのでした。

私の過去の性質に関連したことですが、ここで忘れてはいけないことがあります。それは、他人や世の中のアラばかりに目がいったり、自他の欠点や短所ばかりにとらわれてしまう境地にあるということは、心の奥底まで自分自身を愛せていない、赦せていないということです。そこに目を伏せたり、顔を背けていては、いつまで経っても意識進化のしようがありません。何よりも先に為すべきことは、自身を愛することであり、赦すことであります。

そのときには、両手を反対の肩に回して、自分自身を抱きしめてあげましょう。そして、労りの言葉、ねぎらいの言葉、慰めの言葉、謝罪の言葉、感謝の言葉、愛の言葉などをかけてあげるとよいでしょう。人とのスキンシップももちろんよいのですが、自分自身とのスキンシップは、何よりもみずからを癒やし、温まり、赦され、解かれ、開放させるものであります。

心の底からみずからを愛し、赦した気持ちで、みずからを抱擁したとき、人は己のハイアーセルフと邂逅することになります。そのとき、一度に全部ではないにしろ、意識の一部がハイアーセルフの波動圏に入り込み、意識視野が突如として変わる体験をするのであります。

そうしたうえで、ほんとうにアセンションや意識進化を望む気持ちに嘘がないならば、徹頭徹尾未来志向を貫いて生きるのです。実際に内側が調ってくると、どんな反対勢力の動向にも、悪魔な想いの誘惑にも、心が揺れ動かなくなってくるのです。また、真実に地球平和を願うのならば、すべての存在の内に、揺らぐことのない神性を見つめていなければなりません。反平和勢力の存在を実在と見ることは、意識進化した宇宙人類には、想像もつかない愚行なのであります。「それは難しい」と思われるかも知れませんが、物事を観る視点の角度を変えるちょっとしたコツを用いることで、それは誰にでも可能なのであります。

どのように視点を変えるかと申しますと、神性にもとるすべての表れは、《有るけれども無い》、《永遠ではなく一過性》、《実在ではなく現れれば消えてゆく》のように、截然とした意識の立ち位置で観るのであります。

そのようにいたしますと、過去の見方では、正義と悪、長所と短所のように、二元対立観念でしか観れなかった物事が、永遠不変にあるのは神性に基づくもので、それ以外の表れは、人間が自己の本質を忘れ果てていた時代に思ったこと、作り出したこととして、いたずらに責めたり、敵視したりせず、柔らかなこころで包み込むように赦すことができるようになるのであります。そうした視点に立たなければ、この世の不完全な表れ、欠点だらけの自他の有り様を赦すことなど、未来永劫できないのであります。

真面目に意識進化に取り組んでいる人は、自分は完璧で、他は不完全だなどとは夢にも思わないでしょう。逆に至らない自分を責め、みずからを駆り立て、この現状を、何とかしなければと、己を律して頑張ってしまうのであります。そこが前述の《真剣》と《深刻》の分かれ道になるところなのです。

太古の昔から今この瞬間、そして永劫の未来に至るまで、変わらずに実在するのは《神性》、それのみであります。不完全な表れは、一時的に表れているだけで、すべてが人類の意識進化とともに消え去り、やがては博物館で見る、太古の昔の未進化人類の姿となるのであります。

大切なことは、何に焦点を合わせて物事を観るかであります。また次元を貫いた視野で、その最深奥の本質を見つめることです。本質が観れず、表面の表れに固執した想いで捉えようとするところに、二元対立観念の落とし穴があるのであります。

現在のすべての表れは、過去の私たちが植えた運命という植物の種が成長し、花を咲かせ、実ったものなのであります。大事なことは、運命として現れた(実った)とき、《これで消えた》という認識をもって刈り取ることなのであります。刈り取らずに、種を土に返し(潜在意識にしまい込む)、栄養分(カルマの上積み)を与えていると、またそれが未来の運命となって、形を変えて現れてくるのであります。

本質ならざるすべての表れは、上記のような理を知り、意識の用い方を使って、ドンドンと浄化をしてゆくことです。そして、自己の本質である神性の光を無邪気に発揮してゆくのです。そういたしますと、まずは自分の世界が変わり、変わった人の数が増えてゆくと、家族が変わり、地域が変わり、やがては国が変わり、世界が変わってゆくのであります。そこまでもってゆくためには、アセンションを志向する一人一人が、人類すべての本質たる神性を認識して、すべての不完全な表れを赦し、みずからの神愛で包み込むことが肝要であります。

そのような意識で生きておりますと、厳しい顔が柔和になり、眉は伸び、口角も上がるのであります。顔は意識の鏡ですので、時々は鏡を見て、眉間に皺ができていないか、への字口になっていないかを確かめることは、自分自身の意識のあり方を振り返るよい機会になります。また、この世はそれ自体が鏡の世界なので、この世の現れに対して自分が何を想うかによって、自分自身を見つめることもできるのですが、その話はまたの機会といたします。

最後に、表情や人相を気にかける時に、忘れてはいけないポイントがあります。それは、背筋と頭の角度です。背筋が丸まっていたり、頭が前に垂れていたりするときには、表情が険しい人相になっていたり、暗い顔になっていたりするものです。背筋を伸ばせば、頭頂が天に真向かいます。頭頂が天に真向かうと、《いのちの光》が流入しやすくなります。いのちの光がたくさん流れ入ると、表情が明るくなります。ですから、背筋を伸ばし、顎を引き、肩の力を抜いて、天から流れ入るいのちの光を十二分に心身に導入することが大切なのであります。そのようにしておりますと、表情や人相ばかり気にしなくとも、自然と柔和な人相になってしまうものなのです。そのためには、常時の深い呼吸がかかせないことも、言わずもがなであります。