心の壁を溶かすために ~ その壱

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神域に生きる基本 ~ 信じること

微塵の疑いもなくみずからのいのちを信じている人は、他者の神性をも当然のように信じている人である。

そのように、他人の本質を神性に見いだし信じ切る生き方の大前提・基本は、己を信じ切るところにある。

“信”という文字の真意を観れば、何をどうすればよいかは一目瞭然である。

まず、現象宇宙は人のことばによって成立している。

この場合の人偏の“人”とは、霊止(ひと)を意味しているので、霊のことばによって、宇宙は成り立っているのである。

霊とはいのちの奥の響きであり、ことばとは本質を忘れた人類が使う言葉の奥の(言葉を枝葉とした場合の幹に該当する)響きである。

認識した“ものこと”を信じている状態とは、霊止(ひと)としてことばを正しく使い、認識している状態を指すのである。

だが、疑いや不信が吹き溜まる意識境涯にある場合には、その境地はあまりに遠いと言わざるを得ない。

なぜならばそのような境涯にある場合には、往年のベルリンの壁よろしく、人(こころ)と物資(物質)の自由な交通往来を遮断させる壁を、その人自身が心の要塞の如くに築き上げ、自分と他者及び自然界との間におけるスムーズな交流を、おのが意思で好んで断絶させている状態だからである。

誤てる想いの用い方を明らかに見定める

だがしかし、そのような境涯にある人の多くは、往々にしてこう思っている。

「私はそのような事態など望んではいないのに、いつの間にかこのような境涯になってしまったのだ」と……。

過去の私たちがそうであったように、そのような考え方は“想いが病んだ”状態の典型である。

その境涯にある時分には誰もが、みずからに原因があったことに想い至れずにもがいていた。

そして今も、その境涯で足踏みして苦悩している想いがある。

その病める発想が何をベースにして固定観念化してきたのか、そして、その固定観念がどのようにして形成されてきたのかを探究し、明らかに認識することで、数メートル先さえも見えないような厚い霧が晴れるように、自と他・内界と外界を断絶させてきた“みずからが造りし心の壁”が崩壊して、跡形もなくすべての隔たりが溶解し、消え去ってゆくのである。

それは、気づかずに放置してきた“疑いや不信の原因”を明らかに見定めた瞬間に、みずからの内奥で初めから輝いていた心の太陽、即ち《いのちの光》が表面意識領域に顔を出し、過ち用いていた想いの壁が溶かされ、いのちの大元に還元されるからである。

意識の昇華を志向して生きる

その様を意識の昇華という。

またの呼び方を意識進化という。

意識進化ありしところに、すべての断絶は消え去り、人と人、人と自然界の交流が、いと穏やか且つ和やかに、おのずと成されてゆくのである。

そして、そのような意識境涯に生きるうちに、いつしか気づくのである。

自分の住む世界を形作っていたのは、ほかでもない自身の認識にあったことを。

その人間想念の集合意識が、世界の情勢を形成していたことを。