Sponsored link

心の壁を溶かすために ~ その弐

病(のような症状)に際してなにを想うか

微塵の疑いもなくみずからを信じている人は、肉体に病気の(ような)症状が表れても、それに想いがとらわれない人である。

そういう人は、原因が結果として現れ(因が果を結びゆき)、現れた症状の果たすべき役割が終われば、病は知らない間に癒えて元の健康体に戻っているために、必要以上に症状を悪化させることがない。

そのように“最初から大きなカルマが果たされゆこうとしている場合”以外においては、人間側の認識(レッテル貼り)や日頃の想念の誤った使い方が原因となって、症状の悪化を招いているのである。

そうした誤てる認識や日頃の想念がなければ、言い換えれば、想いが病のような症状にとらわれなければ、それらの症状は仕事を終えれば速やかに天に還りゆくものなのである。

そうなる理由はひとえに、『想いが病んでいないから』ということに尽きる。

想いが病んでいない意識は、表面意識が《いのちの光》と直通しているため、生命本来の新陳代謝作用が最短の時間でなされ、病気のような症状もまた外傷も、速やかに癒やされてゆくのである。

腫瘍との向き合い方

例えば複数の人が病院で簡易的な検診を受けて、「胃に腫瘍がありますね。再検査をおすすめします」と医者に言われた場合、人の運命はその時大きく分けて二種類に別れてゆく。

ひとつめは、まだ良性か悪性かもわからないうちに、悪性であるとの認識(レッテル貼り)を固めて、やがて「そうに違いない」と思い込み、「ガンかも知れない」 → 「ガンに違いない」 → 「ガンになったら家族が悲しむな」 → 「職場のみんなにも迷惑をかけてしまうな」 → 「死ぬのかな」 → 「自分の寿命はいつまでかな」 → 「今年いっぱい生きていられるかな」 → 「抗がん剤治療や放射線治療は嫌だな」 → 「髪の毛が抜け落ちるなんて耐えられない」 → 「ああ、なんて自分は不幸なんだろう」と、これは極端な例ですが、雪だるまを転がして大きくするようにネガティブ想念を肥大化させることによって、良性腫瘍かも知れない腫瘍を見事な悪性ガン細胞に育てあげてて、自らが思い描いたとおりの苦しみに満ちた運命を展開させてゆくという人たち。

ふたつめは、「胃のなかの腫瘍なんて誰でも毎日できあがっては消えていってるんだから、気にするまでもない。大丈夫!大丈夫!」と思い、そこから想いを離してしまって、いつの間にか忘れている人たち。

人は上記のように、同じ事態に直面したとき、過去世から今生にかけて継続的に生まれ持ってきた想念の性質によって、よくも悪くも展開させてゆく力を持っているのである。

レッテル貼りと想念の雪だるま作りをやめよう

前述したように、消えてゆくために現れた症状や外傷を悪化させるのは、一にレッテル貼り(固形現象化させる認識)であり、二に雪だるまを転がして大きくするようなネガティブ想念の連鎖・増殖・肥大化である。

ゆえに人はその場その時々に、痛ければ「痛い」と思ってもよいし、苦しければ「苦しい」と思ってもよいのだが、思ったらその場で即、「必ずよくなる。絶対大丈夫だ。いのちの力はすごいのだ!自分は肉体ではなくいのちそのものなのだ」と想いを転換して、ネガティブ想念をその場その時々で断ち切ることがよいのである。

それがとりもなおさず、マイナスの運命を造りださない秘訣なのである。

さらなる運命の好転を望むなら

そしてそれだけでは、身を守ることで精一杯で、プラスの運命を創造しつづける意識領域へと這い出るまでには行かないため、生命の力を最大限に発揮する言霊を、想いや声帯を震わして発する声に出しつづけ、時には書きつづけ、聞きつづけ、また読みつづけ、心身の細胞の隅々にまで染み渡らせて、すべての精神細胞と肉体細胞を、いのちそのものの輝きを発光した細胞に入れ替えるのである。

細胞は新陳代謝するのである。

その新陳代謝作用は、人の認識や常日頃の想念に左右されることは言うまでもないことだが、いつまでも旧いものが旧いままでいる人など、何処の世界を探してもいないのである。

これまでマイナス想念やネガティブな想いの持ち主だった人は、《いのちの光》から遠く離れた暗くジメジメとした想いの細胞を新陳代謝させながらそれを元に、正常化する力の弱い肉体細胞を新陳代謝させてきたのだった。

今日からは、明るく朗らかな《いのちの光》の響きに合致した想念を発しよう。

その想いを元に、前向きな言葉や行動を発しよう。

そうして生きていさえすれば、心身細胞はやがて常に新鮮ないのちの輝きを放つものに入れ替わり、運命は必ずその方向性を変え、生命の大海にある大調和した響きを現象化させられること必然である。

心の壁の外に生きるために

私たちの心身の健康をさえぎってきたものの正体は、前述のようなマイナス念波の塊だった。

それが心の壁となって、健全な意識と肉体の新陳代謝を妨げてきたのである。

その心の壁は牢獄のように私たちの表面意識を取り囲み、私たちをいのちの太陽から遠ざけ、生気の欠けたひ弱な人物にしてきたのだった。

加えて言えば、仮に、純粋に物理的な毒素や細菌が体に入り込んだとしても、不安や恐怖といった想念習慣を卒業した人の体内では、ダメージを受けないように排出や排泄をするように肉体機能が働いたり、体のなかに取り込んでも《いのちの光》で還元して、心身を害さないものとして共存共栄してゆくこともできるのである。

それは、マイナスのレッテル貼りやネガティブな想念の雪だるまを肥大化させないがために、運命が酸化しないことによる。

過去の私たちは、世界が先にあって後から何かを思っていたのではなく、想念習慣をもって世界を形成し、その造りだした世界を見て、またマイナス念波を肥大化させては、抜き差しならない苦悩の歴史を繰り返してきただけなのだった。