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希望のミライ(前編)

未来のミライ

数日前の自宅でのこと、『未来のミライ』という映画を見に行こうと思い立ち、スマホで映画館の予約しようとしたときに、映画名を思い出せずしばし考えたあと、フッと私の脳裏に浮かんだのは『希望のキボウ』という言葉だった。

その後、すぐに間違えに気付き、「違う違う、『未来のミライ』だ」と思い直し、心の中で苦笑したあとで、「今の私には”未来”は”希望”そのもので、未来と希望がいつの間にか同義語になっていたのだなあ」と思い、我がことながら感心した場面があった。

映画自体はその後、妻と二人で見にゆき、”ホームドラマとファンタジーの融合”との前評判通り、とても見応えのあるもので、瞳を潤ませながら映画館を後にしたのだった。

詳細な内容の描写に関しては、まだ映画館での上映が始まったばかりなのでふせるが、ここでは映画の内容にからめて、多くの人が気付けないながらも、実際に心の世界で起こっている事実に関して書き記しておきたい。

その内容は、過去から未来(先祖から子孫)へ、未来から過去(未来の人から過去の人)へと、助け合いながら受け継がれる命のたすきについての感想なのだが、この映画のように、多くの人々の心の中で実際に、過去が未来を助け、未来が過去を助けるようなことがしょっちゅう起こっている。

それは、映画のなかにあるように、近しい家族や親族の場合もあるし、守護霊や守護神といったハイアーセルフの場合もあるし、遠い昔の先祖や遠い未来の未来世である場合もある。

またそのうえで、同じ時代を生きる人類が互いを助け支え合っているこの世界は、現代いまが如何にシビアな世界であっても、みんなが未来に希望をいだき、力を合わせ協力してゆけば、必ず希望に満ちた世界を切り開くことが出来るに違いないのだ。

個人のカルマの清算浄化を果たすために

人が地上で肉体身に産まれ、生きてゆくなかでは、運命的に個人の思い通りにならない出来事が事の大小にかかわらず現れてくるものだが、それに関しても見えない理由がある。

それは、現代までの人が、すべてを大調和させる大天命と一緒に、個々人が過去世から持ち越してきた魂の宿題ともいうべきカルマの清算浄化という小天命を持って生まれてきていることだ。

この過去世から持ち越してきた魂の宿題が多い場合には、自他との係わりのなかで、思い通りにゆかない事態が次々と起こって来ることになる。

そのようなとき、人はついつい、自分の肉体に張り付いた自己中心的な想いで、「誰が悪い彼が悪い」「なんで自分を大切にしてくれない?」と、欲求や疑問を他人にぶつけ、満足させてくれるような反応が相手から帰ってこなければ、途端に駄々をこねる幼児のような幼い反応を、大人になってもやってしまいがちだ。(いわゆる魂の追試験に落第すること)

けれども、人の心の内側の世界では、そのような事態を乗り越える手引き(手助け)として、過去が未来たる今を助け、未来が過去たる今を助けている。

その響きを直観でキャッチ出来た人は、ほどなくその時点の自我に張り付いた意識から抜け出し、助け合い思いやり合うことの大切さを理解する意識に立ち戻って、エゴの暴走をおのずとおさめ、周囲と協調するいのちの本来性を取り戻すことが出来ている。(次回に続く)