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ドラえもんの名言に想う


ドラえもんの名言にある自分

「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」

これは、かのドラえもんの名言ですが、大きくは戦争も宗教対立も民族紛争も、小さくは個人間におけるマウンティングもいさかいも、すべては自己の体を“他人と離れた自分”と認識する想念習慣がその元になっています。

私たちはこれまで長い間、他人とは違う別個の体をもった自己を認識してきたからこそ違いを感じていたのであり、その想いが元になりその状態を改善しようとして、そこに平等という理想的概念が生まれたのであります。

また、しかしてそうならないところに、自他の優劣や差別・すれ違いなどを感じ出し、あげくの果てには、弱肉強食的価値観による対立や衝突を繰り返すに至ったのでありました。

ところで日本語には、己を指す言葉として“自分”という言葉がありますが、真理の観点から観れば自分とは、分かれた己でありまして、分かれたというからにはそこには、分かれる前の大きな自分が実在しているのです。

私たちはそれを、いのちの光と呼び、生命意識と呼んでおりますが、世間的には神(性)とか仏(性)などとも呼ばれている本当(真我神我)の自分というものが、誰もの内奥に厳然と存在しているのであります。

また自分という文字を読み解けば、己とは、“おのずから分かれた自己”であり、“みずから分かれた自己”であるとも、どちらの読み解き方も事実であるといえます。

いわく、“おのずから分かれた自己”とは、分かれた覚えのない個我の側からの観点であり、“みずから分かれた自己”というのは、生命意識そのものを自己として認識している、分かれさせた側の認識をもった本心・本体の真我の側の観点です。

自我の拡大 = 宇宙意識の獲得こそがアセンション

冒頭の文言のなかある、「自分が正しいと思ってる」その自分というものは、本心・本体から分かれる前の生命意識を忘れ果てた想念状態であり、それがアセンション前の人類意識であるといえます。

そこからわかることは、『アセンションする真義は、そうした個我を大我真我に返却し統一するところにある』ということでありまして、そのための方法が、それを体験した人、又は体験していないながらも「そうあるのが本来のあり方だ」と信ずる人々によって、種々と巷に伝えられているのであります。

そのように現代を生きる私たち地球人は、一人の例外もなく個我エゴを手放し、いのちの光に還元し、宇宙意識をよみがえらせなければならないのです。

人類に先がけてアセンションを志向する人々の本来の役割

そうしなければ、地球に未来が来ないからです。

そうなってしまっては、私たちがこの地球に生まれてきた意義が果たされません。

私たちは、何度も生れ変わりを繰り返しながら自己を磨きつつ、地球完成に至る今日こんにちの時代を待ちに待っていたのであります。

個人と人類すべてのアセンション(次元上昇)を志向する私たちには、もう地球での来世はないのです。

なぜならば、次の星での仕事(開拓)が待っているからです。

私たちはそのように、星々を進化させ、完成させる下支えとしての、“けっして華々しくはないが欠かすことのできない働き”を成す使命を帯びた宇宙神霊団の一員なのです。

ワンダラーといい、ハイラーキーといい、宇宙の兄姉きょうだいというも、すべては渾然一体となった私たちの働きそのものであります。

ワンダラーたちのなかに、ハイラーキーの放つ無限なる光明が輝き、宇宙の兄姉の降ろす無限なる叡智がきらめいているのです。

ハイラーキーの側から観れば、ワンダラーも宇宙の兄姉も一体の働きです。

また、宇宙の兄姉からすれば、地球に降りたワンダラーも地球救済のハイラーキーも、同じように一体となって働く存在です。

そのように、我々が使う“わたくしたち”という言葉は、地上に点在する神性人類と、神霊界の諸神善霊方と、宇宙の星々からの救援隊の方々が三位一体となって、日夜働いているその“いのちの光”の総称なのであります。

ドラえもんの言葉として語られた、「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」という言葉に触れたことから、「本当の自分とは?」という哲学的な命題に想いを致して、そこから私たちが地球に来た本来の役割などについて、ふと思い出したのでありました。