愛の心を見つめ直そう 〜 一大スペクタルなパノラミックアセンションの時旬へ向かって

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愛ある意識体の現状

「地球を救おう、平和な星にしよう、そのために、自分たちにできることはなんだろう」、そのように考え行動している愛の深い人は、地球上にたくさんいらっしゃいます。

この星を現状のような自我欲望に満ちた世界、「他を傷つけ損ねても自分たちだけがよければそれでよい」と思うような意識同士のぶつかり合う世界から、互いの違いをみんなが認め、尊重、尊敬し合う意識の持ち主同士が、各々のいのちの力を出し合い、ともに助け、高め合い、自然の美しさと文明の利便性を相反させず、すべての存在が共存共栄してゆく世界へと、地球を導こうとする意識の持ち主は、過去のどの時代にもなかったほど、世界各地にたくさん点在しているのであります。

しかしそうした人々の力というか影響力は、残念ながら世界の動向を左右するまでには至っておらず、その働きは今はまだ、人類の潜在意識層の浄めにとどまっていて、年月を経ながら形を変えて現れる世界の危機は、相も変わらず天変地異として、また一触即発の世界情勢として見え隠れし、多くの人類が心配の想いの波を抱え、心の片隅に仕掛けられた時限爆弾に怯え生きているような状況です。

地球をよい星にしたいという愛の心は、何ものにもまさる力であり、その愛の光を消すことは、どのような力をもってしてもできるものではありませんが、いかんせん真実の愛をもつ人々の存在は、未だ誤てる想念群像の影に隠れています。

そのため、人類の運命における大勢の行方は、表面的には、みずからの首を絞めるような方向へ、なだらかな坂道を転がり落ちるようにゆっくりと、しかし刻一刻と進み、終末時計なるものの示す時刻は、風前の灯火にある状況です。

みずからの愛を見つめ直し真愛(神性の光)を発光し直そう

地球の未来を案じ、光明の方向へと未来への舵を転換させることを念願する私たちは、今一度、みずからの愛のあり方を見つめ直し、より強力にみずからの生命の大光明を発揮し、さらなる集合意識の修正をはかる必要性に迫られています。

そこで、どのように愛のあり方を見つめ直すかということですが、これは単純でして、『原点を見つめ直す』ということです。

愛が発っせられている元の位置を見つめ直して、発光する元の位置や角度にズレがあれば、そこになんのジャッジも加えずに、ただ愛の光を0地点霊光から発光し直すことなのであります。

愛の発光をし直すということを別な表現で申しますと、『愛の心とは、神域の意識から発して、初めてその第一歩をしるすことができる(真実の力を発揮する)』という真理を、自らの愛に照らして見つめ直すことです。

私たちは往々にして、真愛ではない感情想念の波を、真実の愛だと勘違いしていることがあるものです。

愛と見紛みまがう善なる感情想念は、立場や状況が変わると手のひらを返したようにひっくり返り、さっきまで好感をもって見ていたものを憎しみの目で憤り見る、というようなことが、往々にしてあるものなのであります。

そうした感情想念の波をつかまえて、愛だと勘違いしているようなことですと、愛だと思っていた善念は世界を好転させる力をもたず、かえって混迷の渦のなかに自他を埋もれさせ、抜き差しならないその激しい渦のなかで、誤りに気がつくまで翻弄されてゆくのです。

心の動きを常に観察しよう

ですから私たちは常に自省を怠らず、愛の本質に照らして、みずからの愛のあり方を観察する必要があるのです。

真実の愛は、何もの何ごとをも無いことにしようとはしません。

見ない振りして、逃げ回ることもありません。

あるものはあると観て、それらを抱きかかえ、ともに天に昇る意識こそが真実の愛の心なのです。

本当の愛は、自分の都合で他人を好きになったり、嫌いになったりはしません。

真愛は、気分次第で他人から遠ざかったり、近寄ったりもしません。

真実の愛の持ち主は、すべてが自らのいのちと同根であることを理解しているので、愛しい気持ちが反転しようがないのであります。

しかしまた、余計なおせっかいや深入りをし過ぎて、他者の神聖な領域を侵すようなこともしません。

ですから、もしも自分が愛だと思っていた感情が、自己都合によってコロッと変節するような想いの波であったり、他人の心に土足でズカズカと入り込もうとするようなデリカシーのない精神状態であるとするならば、それは愛ではなく、エゴ・個我・自我想念なのです。

そうあることはすなわち、二元対立の意識領域をみずからが抜け出せていないことのわかりやすい証左なのであります。

真実の愛は、神性意識に立ち返って、初めてその第一歩を踏み出せるものなのです。

みずからの愛を見つめ直すとは、そこの部分を再確認することです。

あなたが真愛の持ち主ならば

そのように見つめ直してみて、あなたの発する愛が客観的にも、神域の意識から発した意識波動であるならば、その愛の心は真実の愛です。

あなたがそのような真愛の持ち主であるのならば、不必要な卑下は拭い去って、自信をもって道を切り開き、闇の世界に光を拡大して、人々の目覚めを促してゆくとよいと思います。

それは、自分がするのではなく、肉体側からすれば「させていただく」という心構えで臨むものであり、生命意識の側からすれば、肉体を電波送信塔のように使って、「発光(発)する」ことであります。

その愛の光は、怪しげな念波などではありません。

他者を自らの思い通りに動かそうとするような、念力などでもありません。

とても科学的かつ自然現象的な、生命の神秘の発動なのであります。

地球が今日の様相に至った原因に光を放射する

地球の運命がおかしな方向に進んだのは、地球人類が自らの生命の本質を見失い、生れ変わりを繰り返したことが原因でありました。

その本質を見失った想念こそ、いのちの光を忘れた闇の想いなのです。

その闇の想いは、それ自身が光を失った暗闇の状態ですので、真実の人間のあり方、愛の発光の仕方がわからないのです。

私たちは、地球が今日の様相に至った原因の暗黒箇所に、愛の光を放射することによって、暗がりで懐中電灯を灯すように、否、地球に太陽の光が届きすべてを生かしているように、すべてを明らかにして、明るい世界を構築してゆくことができるのです。

その行為が、愛の祈りです。

暗闇の想念世界に、神愛の太陽である“目覚めた意識から発する愛の祈りの響き”を投げかけますと、暗闇の想いの天地に霊光が灯るのです。

初めは弱く、薄暗い光ですが、繰り返してゆくと徐々にその光は大きくなり、日中の太陽のように、真冬でもその光を浴びていると暖かく感じるほどに、強い光となって感じられてくるのであります。

そのように、想念世界の天地に太陽の光が差しつづけて、その光を浴びつづけていますと、やがてその意識体は、生命の本質を徐々に思い出してくるのです。

真理に目覚めた意識が発光する愛の光は、そのように未だ目覚めぬ意識の持ち主を、真理の世界に引き上げ、引き戻す働きをしているのであります。

そのうちに地球上の人類すべてが、愛そのものの響きに立ち返って、天地万物一切すべてと相調和した世界を創りあげてゆくことになるのですが、現在はその途上でありまして、一日の時間帯でいえば、夜明け前の一番闇が深い時代を生きているのであります。

意識進化を果たした人が住む想念天地

しかし、すでに意識進化を果たした人は、東の空から昇り来る朝陽の光明を個人差はありますがキャッチし、ピンクとパープルが混じったような、霊妙精緻なる新時代の息吹をみずからの心身に顕し、人類に啓示しているのであります。

このことは、息張り力んですることではなく、『その人がそこにいるだけで、ただ肉体をまとって物質界に存在しているだけで、そのような働きをなしている』ということなのです。

ですから、地球の未来に光明を灯す原動力として地上で働く私たちは、ただ愛そのものとして、生命光の発神場所として、それぞれの立場環境で、日々命の火を完全燃焼して、毎日を新しい気持ちで生きているだけでよいのであります。

パノラマ的次元上昇の時は必ず来る

やがて驚天動地の出来事が地球上に起こります。

それは、壊滅的な未来ではなく、想念習慣の方向転換を全人類が余儀なくされると申しますか、否応なく全人類が意識進化せざるを得ない瞬間がやってくるのです。

それは、地球文明の夜明けの時旬であります。

そのときには、一時的には大きな混乱が世界を駆け巡るでしょうが、やがて程なくして誰もが、「これで本当の自分にようやく帰れるんだぁ」という、赤子が母親の腕の中にいるような安らぎの安心感に包み込まれて、世界人類の一大進化が巻き起こるのであります。

それは、一大スペクタルな景観の【パノラミックアセンション】とでも申すような素晴らしい出来事で、その瞬間を全人類が同時に体験する時が来るのです。(細かくいえば時間差はありますが、程なくして全人類に伝わる)

その現れ方は「これこれこうである」と断定できるような固定したものではなく、現在の人類の、これからの意識の変化次第で、いかようにも変幻自在にプログラムを変えて現れるものですので、ここではあえて、「何年何月何日にこれこれこのようなことが起こる」などという予言的な事は申せません。

ただ、そうした方向へ向かって、地球全体の運命が進展しているということだけ、申し述べるにとどめておきます。

表面的な地球の運命が、どんなに悲観的な未来を予感させるものだとしても、必ずすべての人類が生命の本質に目覚め、文明のあり方が根底からくつがえり、やがては全人類が意識進化を果たし終えた世界へ移行・昇華する時代が来るのであります。

そのときがいつになるのか、早くなるのか遅くなるのかにつきましては、一にも二にも、三にも四にも五にも、今を生きている私たち一人一人の、常日頃の意識の使い方・用い方にかかっているのであります。