いのちのメッセージ103 ~ 自他との関わり方①

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新時代の標準思考・発想基準

 人類愛と同調共振した想い(神性意識)を標準思考にすると、人生からささいないさかいが影を潜め、やがては皆無になってゆく。

 あらゆる思考や言動行為の発想基準を、

  • 「自分たちが全体の調和に役立つにはどうすればよいか」
  • 「全体が平和になるために自分たちが何をすればよいか」

というところに置いて想念言動するようにすると、無用の葛藤や対立に時間を割くことなく、有意義で健全かつ建設的な発想をするようになり、心豊かな人生にシフトしてゆく。

すれ違い・こすれ合い・ぶつかり合い・出会い頭の衝突等

 ささくれだった想いで人と接する習慣が身についてしまっている場合には、何気ない他人(ひと)の言葉にさえ、反発・反抗・抵抗・防衛・傷心・被害者意識の肥大化等の想いがうごめき、本来あるはずのない敵をみずからが現象化して表し、戦いもしくは逃亡の二極化した迷妄行動に駆られてゆく。

その行為はまるで、空間中に仮想敵をえがき見て、一人きりで戦ったり逃げたりしているようなもので、その姿を因果応酬の波動圏を離れた眼で観ると、周囲にその人以外の誰も居ないのに、無我夢中で一人遊びに講じている子どもの姿に観えている。

 社会生活を営むうえで、個々人の種々様々な行動は、時に周囲とこすれ合い、ぶつかり合うこともあるが、そうしたことに気を散逸させず、目的や目標・計画等の遂行に邁進することがよい。

それは、すべての人類が生命における同根意識をもつ日がくるまでは致し方なきことで、そのようなことに気を取られ、気をつかったり、気に病んだりすること等は、ハッキリ言って時間の無駄である。

 みずからが全体のためによかれと思い、発した行動を不都合に思う人もいれば、その真意を解してくれない人もいる現状の世界を鑑みれば、そのような勢力の理解を得ることに心を砕き、無理にわかってもらおうとしたり、目くじらを立てて反論対立するようなことも時間の無駄である。

280911

大切な行為

 【いかなる批判や非難・評価をもしないで、ありのままをただ受容して観る】ということが、自分を含めた人や社会と関わるうえでは、今後ますます大切な行為になってゆく。

それがアセンションに大切な《真の自己肯定》と密接にリンクして、みずからの意識進化を深めることと連動しているからである。

この理が腑に落ちてわかる人は、肉体にありながらすでに神域を生きている人である。

 未完成の星の天地に生きる人類は、ほとんどの人が途上のプロセスを生きているため、未完成の互いの姿をいちいち「よい悪い、好き嫌い、高い低い」などとジャッジするものでない。

そのようなことにうつつを抜かしている人の姿は、他の人がまだ調理中の野菜炒めを横から箸をのばしつまみ食いをして、「この野菜、まだ生じゃないか、何やってんだよ、料理下手だな」と文句を言うようがごとき滑稽な行為である。

先ずは自分を認め、許し、愛すること

 人間は不思議だ。

自分を愛しもしないで人を愛そうとし、自分と向き合わずして他人と向き合おうとし、自分を向上させずに他人をよくしようとし、自分をよく思わずして他人によく思われよう、好かれようと努力している。

顛倒てんどう妄想の夢から醒める時旬は今。

 人は何よりもず、自分の《いのちの光》を認め、過去のおのが至らなさを許し、みずからを愛しつづけなければいけない。

それが自然にできるようになるまで、自分を磨き、磨き、磨き抜くことである。

他人を真に愛することができるのは、そのあとの話である。

なぜならば、自分を認め、許し、愛することのできていない人は、どのように取り繕って見せようとしたところで、真に他人を愛せていない姿が一目瞭然だからである。

 他人を愛するように自分を愛そう。

他人に親切にするように自分に親切にしよう。

他人を敬うように自分を敬おう。

それができたとき、他者への愛は自然のうちに機能不全から回復し、その輝きを増してゆく。

無理に何かを為そうとしなくてよい。

自分を許し愛する生き方を根底にして、人類愛の意宣りを想念言行に顕していさえすればよい。

肉体細胞たちは、そんなあなたの想念・言葉・行為を食して、新陳代謝を促進してくれている。

人類は皆そのように生きさえすれば、誰もが知らぬ間に霊細胞の肉体身に変貌し、霊なる心と肉体身の隙間が少しづつ縮められて、やがてはみんながアセンション(次元上昇)を果たし得るのである。