いのちのメッセージ119 自分事・公案・原罪・徳

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自分事

 初めに自己評価あり。そは即ち他者評価の原動力なり。

 他人に感じる想い(感情)は、その人に対して何かを思っているようでありながら、その実、みずからがしていることへの感想を、他者に転嫁してあれこれと思い見ている姿である。

 みずからを映し出して見ている他者への感情を“自分事”として観るコツは、深い呼吸とともなる内観をして、脳裏をよぎり去る習慣性の想いを、流れゆく群雲を眺めるように、ただ見送ること。

 脳裏に現れても、引っかかったり、つかまえたりしなかった習慣性の想念は、現れるたびに薄れてゆくため、やがては潜在意識から無くなって、想いとして現れなくなる日が来る。

公案

 いつの日か貴方が、全き高次元世界の住人となって、より進化した他星へ転籍するときが来たとして、その時に持ってゆける想念はどのような種類の想念かを公案せよ。

それのみを想い、その想いを元にした言動行為を為すことが、今後の貴方の課題である。

原罪

 みずからに対して認識するすべての自己評価を、正直にジックリと見つめてみても、微塵のマイナス評価もなく、「ただ神性のみ在り」と認めることが出来たなら、その人は未来の地球をしょって立つ指導者の一人である。

意識の襞に未だ消さしむるべき原罪が残っていたとしてもである。

 人間は誰もが、他人より自分がかわいい。他者の家族より自分の家族のほうが愛しい。

人間が命を維持するためには、過渡的実態としてではあるが、他生物の命を奪って食す行為から逃れられない。

その事実こそが、アセンション(地球界の霊化)が完了する最後のときまで、誰もが逃れ得ない原罪である。

 洪水で自分が水に浮かんだり沈んだりしながら流されているとき、そこに人一人つかまることが出来る一本の丸太が流れてきて、近くに誰かが同様に溺れているのを見たとき、○○(自分の名前)はその人に丸太を譲り、流されてゆくことを選択できるだろうか?

それが出来る人は地にありながらもうすでに、天国の住者と呼べる人である。

 自分の気分や機嫌がよいときに、誰かに親切にしたり、人知れずよいことをしたとて、なんの“徳”にもなりはしない。

そのようなことは、年端もいかぬ魂の幼子でも出来る行為である。

 真実の徳ある行為とは、自分の感情や体調に左右されることなく、人が見ていようといまいと、どのような時でも変わることなく行なっている善事である。