いのちのメッセージ124 真理の無理強いは非真理の行為なり

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真理の無理強いは非真理の行為なり

 真理の言葉は本来、みずからに対して語りかけるものであって、他者に強要すべきものでない。

他者にも強要した瞬間に、その真理は色褪せ、カルマに成り下がること、よくよく心に銘記せよ。

 現在、心や体が病の状態にある人に対しては、「〇〇をしないから▲▲になるのだ」「□□だから▲▲なのだ」式な言葉で、安易に真理の言葉を吐きかけてはならない。

真理のベクトルは、いつも自己の内面に向かっているべきところを、真理を人を刺すつるぎのように用いてしまうことは、とても大切でありながら実際問題として、肉体性人類の行いがちな非真理の行為である。

 真理を外れた弱肉強食的な生き方を肯定している、又は、肯定しないまでもあらがえずに流され生きている人々に対しては、けっして真理の言葉を投げかけてはいけない。

その行為は、火に油を注ぐがごとき愚行である。

そのような人々に対して必要なのは、肉声を発さぬ無言なる抱擁の祈りのみ。

 真理の言葉は本来、自己を磨き高め上げるために用いるものではあるが、これまでの真理に外れた生き方を反省し、真理を求める心境に至った後に相談を受けた人に対しては、軽く紹介して励ますように使うならば、述べ伝えることに害悪はない。

ただしその場合には、けっしてそれを強制する受け止められ方をしない言葉を選ぶこと。

大切なのは、発し伝える言葉が正しいかどうかではなく、発する人の心が真理そのものの響きを表しているかどうかである。

 自分が相手に真理を強要する気がまったくなくとも、聞く側が強制されていると感じる場合がある。

そのようなことのないようにするためにも、真理を他者に伝えんとするものは、常日頃から個我を滅して、生命光の真我に自我を溶かし込んで生きる訓練が必須である。

愛と神性

 あなたが、人類に先がけて意識進化の螺旋らせんを昇らんとする人ならば、愛と見まごう自己顕示欲を自己の心に温存してはならない。

そうした類の想念は、すべて徹底的にいのちの光で溶かし切ることがよい。

目指すべき神性復活の境地は、みじんの私心もない空の境涯にあるのだから。

 愛と見まごう肉体観念付着の想念と、人類誰もの心奥に太初はじめから光り輝く愛そのものの心との関係は、イソップ寓話にある『北風と太陽』のようなものである。

いわく、前者は、愛と疑わずに発したみずからの言行が、北風もしくは氷のような寒さや冷たさを他者に感じさせるものであり、後者は、無私なるがゆえに生命光そのものの暖かさで、他者にいつしか想いのよろい(想念習慣)を脱がせ、自然と凍った念氷おもいをも溶かしむるものである。

 あなたが「私は愛の人でありたい」と、心底から本気で願っていて、その想いに微塵の嘘偽りもないのであれば、『色即是空・空即是色』という言霊の真義を、思想・宗教・信条の別にかかわりなく真に自己のものとする必要がある。

これがわかれば誰でも、生命の真実を自己のものとすることができるのである。

またそれは、人からならった知識として知っているだけでは足りず至らず、みずからのいのちの奥底から響き出る真理のことばとして発し出された響きでなければならない。

 愛とは、個我を真我に溶かし込んでみて、初めて表現できるいのちの光の発露である。

 本質なる神性意識にて、人類すべてを包み込もう。