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いのちのメッセージ133 感情想念と神性意識の違いを識別するために

喜怒哀楽を純化させるために

 神性意識は傷つき痛むことがない。

心の傷はエゴの疼きであるから、そこから離れて生きるとよい。

 混同しやすい想念言行の一つに“怒り”があるが、叱ることと怒ることの違いがわかれば、感情にまかせて怒り狂うことがなくなる。

 悲しみの感情をよくよく味わうと、自己憐愍と他者憐愍に色分けされるが、他者憐愍にあてがう漢字は“かなしみ”であって悲しみではないがゆえに、慈しみの変形想念である。

 悲しみの感情における自己憐愍は、エゴのふさぎ込みであって愛しみや慈しみとは無関係であるから、「ああ、ふさぎこもうとしているな」と自己の想いの動きを客観的に観て、「大丈夫だよ」と励ましの声をかけてあげるとよい。

 喜びの感情を俯瞰すると、個人にしかわかり得ない喜びと、誰もが共有できる喜びがあり、すべてに益する喜びと、他者をおとしめる喜び(ざまあみろというような)がある。

公の喜びを己が喜びにして生きられるようになると、私心が薄れて生きることが楽になる。

 楽しいという感情にもやはり、喜びと同じような分類があり、自己がなんの努力もなしに得る“楽”をのみ求める感情は、運命の劣化を招いてのちのちの苦が増すゆえ、公の楽しみばかりを求めて生きることがよい。

 感情想念がすべてだと思い違うなかれ。

感情の奥にある知性、理性こそが、神性の基盤である。

その他の感情

 食欲や性欲を純化しよう。

純化とは、いのちの光から直接発する意識であり、欲望感情の衝動に突き動かされて理性が吹っ飛んだ行動とはまるで異なる。

 音楽の楽しみ方の極致は本来、衝動の解放にではなく、魂の解放にこそある。

生命(神性)意識と感情想念を識別して生きるために

 「感情想念そのものが自分ではないんだ、神性こそが人類の本質なんだ」と、心の底から腑に落として理解するためには、深い呼吸と共に理性を旨として過ごす時間を長くすることで、そうした本質的理解が自然のうちに体感・体得されてゆく。