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いのちのメッセージ134 違いを超えて認め合う 他

感情のベールの向こうへ

 感情想念の奥に神性意識が輝いている。(感情想念の奥に上下左右前後を超越した次元の深奥があり、そこに神性意識がある)

 次元の深奥にある神性意識は、感情想念のベールの向こう、神性と肉体を隔てる自我意識の壁の向こう側にあるもので、記憶の浄化に伴って顕現されてくる。

 人類の本来性である神性意識(いのちの光)は、いつの時代のときにも、人類に内在して働きかけてはいたのだが、これまでの人類にはなかなかキャッチできず、見えも聞こえもしないものだったのは、肉体側心身の波動が粗雑すぎて、肉体という生命受像機に、その精妙な波動を映し出すことが出来なかったから。

 「いままで私が私だと思っていた自意識は、じつは本当の自分ではなかったのだなあ」と知ると、夢からさめたように本来神性の生命光が表面化してくる。

その意識から観れば、ついさっきまでの自分が遠い過去世の自分を観ているように、遠く懐かしく思えるのである。

 本来の自己を志向して生き始めると、これまでになかった葛藤(エゴの抵抗)に立ち往生することがある。

そのときに截然せつぜんと神性の大地に立ち、ぐらつかないでいられるかどうかは、そこへ至るまでの間に、人間の本質神性意識幻影想念個我意識の違いをキッパリと認識できるだけの己を磨きあげて来たか否かにかかっている。

違いを超えて認め合う ~ 平和への第一歩を踏み出そう

 平和な世界に生きるための初めの一歩は、違いを認め、尊重し合うこと。
(それは他者に求めることではなく、みずからが率先して行うべきこと)

 生まれ育った背景や性質の違い、思想的バックボーンの好き嫌いで差別(優劣遠近をつけて見る)をし、エゴを満たしてくれそうな人にすり寄ったり、そうじゃない人からは遠ざかったりするような、自己都合的行動を卒業し、違いを超えた神聖(ひとついのちの生命光、ワンネスの実体)を認識し合おう。

 互いが互いの違いを肯定的にとらえ、共通項のみをクローズアップして観て、そこに共感を育て、ともに醸成してゆくならば、わかり合えない異質などはない。(とはいえ人は、『過去世の縁の範囲内でしか実際の交わりがない』というのが実情なのではあるが)

 すべての想念言行には、それを発するに至る背景的個人史があり、そこを観て思いやることができなければ、人は自他の神性を真に認めるに至らない。

そのためにはまず、自分が今日に至った背景的個人史の一瞬一瞬を丁寧に抱きしめて肯定してあげること(自分を認められない人が他者を認められるはずもない)である。

他者の個人史を観ることなどは、深い呼吸とともに神性意識に入りきりに入っている(祈り一念の境涯になる)ことで、意識進化の果てにアセンションをして以降、自然となし得るものである。(映像的に見えるのではなく、一瞬にしてすべてがわかる)

それが可能になるということは、神性意識が表面化することにより、仏教でいうところの漏尽通ろじんつうが発動して、自他のすべてを、次元の奥行きを伴った意識視野で観ることができるようになった、ということでもある。

人は誰でも本源ではひとついのちの存在であるから、神性を開発すればするほど、自分を含む人々の心が普通にわかることはなんの不思議もない。(大元から観ることになるため、エゴを完全浄化し、無私の心境になることが必須)

そのようにして自他の違いを認め合い、本性である神性を当り前のように認めるためには、意識を自己の生命の本源に還すことが何よりも大切なことである。

それ以上に大事なことはない。