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いのちのメッセージ 151 徳と神性

徳のある想念言行

 他の人々と見比べて、みずからの置かれた生活環境や立場に不公平感や理不尽さを感じることがあったとしても、個々人の過去世から今日に至る”徳”をつぶさに読み解けば、すべては公平以外の何ものでもない。

 今なんの不足も不満もなく、満たされた人間関係と生活環境のなかにある人も、現在の日々のなかにあって徳ある想念言行を怠るならば、それは思い通りにならぬ未来の境遇をつくっていることになる。

 今の幸せな生活も人間関係も、過去世から今日に至る”徳ある想念言行”の結果として現れている運命であるから、そこに慢心することなく、徳ある想念言行を積み重ねて生きるとよい。

 徳ある想念言行とは、宇宙にきらめく真善美と慈愛に満ちあふれた想念及びそれを元にした言葉と行為をいう。

それは、貯金のように横取りして蓄え増やす幸福の種ではなく、生命光の源流から無限にあふれ出る”いのちの光”のほとばしりだ。

 最大の徳は、すべての大自然と生きとし生けるものの天命成就を祈るとともに、人類すべての神性復興を祈る真愛の想念を基にした言動行為を為し表すこと。

その他の想念とそれに根ざした言動行為は、徳とは無縁なカルマ(生命の本質を離れた習性想念言行)の消え去りゆく姿であるから、「それらの習慣性は自分自身の本質的想念言行ではない」と断言して切り離し、本質ならざる習慣性のすべてを、大気中に現れては流れ消えゆく雲の如く観て、宇宙から地球を見つめる太陽のように、この星に関わるすべての存在に愛の陽光を投げかけよう。

意識進化と徳の有無

 他の人々と見比べたときに、みずからの置かれた境遇に劣等感をいだいたり、自身の不甲斐なさを感じたとしても、それは過去に為した徳なき想念言行の結果として表れた運命であり、それらは現象化すれば消滅し去る性質のものであるから、自身の根底に【神聖なるいのちの光】のあることを認め、今この瞬間以降の想念・言葉・行為を神域の想念・言葉・行為にバージョンアップして上書き保存してゆけば、みずからの存在意義を心底から信ずるその真の自信によって、すべての劣等感や不甲斐なさはいのちの大光明で霧散し、明るい希望に満ちた日々を迎えることが誰にでも出来る。

 自己否定の想念波動ほど、内在神性の全き発現を妨げるものはない。

ゆえに、みずからを生かしている”いのちのすごさ”への感謝をとおして、”いのちの神秘”を開示してゆけば、やがては生命光(自神)との一体化を果たし得て、自神への全き自信を取り戻すことが可能になる。

 自我欲望が満たされたからといって有り難がったり、自己都合が通ったからといって満足するような意識レベルにあるうちは、いざ望まぬ事態・状況に際したときに、心はすぐにもチリヂリに乱れ、不平不満や不足感といった心内天変地異にさいなまれてしまう。

人の真価は、自身の望まぬ状況に置かれたときほど、真実の姿を露呈するものであるから、自身のあり方が上記の低レベル意識にあると認められたときには、潔くその汚れてボロボロになった想念の上着を脱ぎ捨て、内在神性の光で焼却し、心の奥の天に昇華するとよい。

不安に揺れているのはあなた自身ではなく、恐怖にぶれているのもあなた自身ではなく、泣き濡れて途方に暮れているのもあなた自身ではない。

それらはすべて、生命の本質を見失ったときから重ね着してきた想念の上着のなせる技である。

 「劣等感をバネにのし上がればいい」という前時代的な成功幻想(捲土重来けんどちょうらい的思考)と、宗教思想の独善的解釈による排他思想と、「自分は他人を支配できる」という勘違いと、「自分は他人に支配されて然るべき存在である」という低次元の自己認定群像に、当時の幽界最下層に蠢く破滅思想や破壊衝動が惑星直列のように一致して、あの忌まわしい日本の品位を貶める黒歴史的事件が発生した。

最初の大きな事件が発覚してから三十年……。

今後、首謀者と側近実働隊は、あの世にて然るべき魂の修業場へ移送され、過去の償いをすると同時に、徳ある生き方の大切さについて、初歩から学び認識を改めてゆくこととなる。

これからの日本人が、地球人類が、宇宙真理を逸脱した支配欲と無知から生じた自己限定による過ちの歴史を二度と繰り返さぬように。

 日常の一瞬一瞬における”自我”の取り扱いこそが、人の運命を雲泥万里の未来へと振り分ける分岐点である。

神性に根ざして生きる自我を選択した人は、その宇宙法則に則った正しい選択により、徳を積み重ね、みずからの意識を進化させ、地球と宇宙の進化創造に積極的に関与してゆく。

その先にある未来は、星々との交流による個人のさらなる意識の深まりと、地球世界全体の霊位上昇である。