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いのちのメッセージ 164 今知ってほしい真理

 人は皆、自分がそうだと思う現実、あると思う真実をつくり出して生きている。

そうであるがゆえ、真実は人の数だけあるのだから、自分の真実と思う見方を人に押しつけてはいけない。

 自分が今、仮に末期癌であるとする。

そのときに貴方は、みずからをどのように観るか。

うろたえ、取り乱し、痛みにさいなまれながら、死への恐怖に飲み込まれ生きるか。

それとも、すべてを受け入れ、何ものもジャッジせず、生死を天に任せた感謝の意識で生きるか。

どういう生き方を選択するにせよ、すべては自己責任であるのだから、何処かの時点で腹をくくり、今ある状態のなかで前向きに生きるのがよい。

 すべての事態は必然性を持って起こっている。

その必然性に抗い戦いを挑む人は、鏡に映った己を殴り蹴り、果ては刃を向け、想いの銃弾を撃ち込んでいるのでいる。

その末に起こり来る不幸な未来を見つめて、みずからの想念言行を制御せよ。

 本来、不幸で終わる不幸など、宇宙の果てまで見渡してもない。

すべての不幸と思わしき事態は、よりよい未来を形成する一時的なプロセスである。

永遠を見通す心眼を以て今を見極めよ。

 3秒前の痛みと2秒前の痛みは別の原因から生じているものであり、2秒前の痛みと1秒前の痛みも別の原因から生じているものであり、1秒前の痛みと今この瞬間の痛みもまた、まったく違う原因によって生じているものである。

もっと前に遡っても、もっと先の未来を見ても、その一瞬一瞬に起こり来る痛みは、別々の原因から生じ来ているのだ。

その事実を鑑みて、瞬間瞬間の想いを切り離して観よ。

さすれば、痛む症状に対する認識は劇的に改善され、それによって痛み自体も快方に向かうだろう。

 すべての痛みには、過去世から今日に至る物語が秘められている。

例えば、3秒前の痛みは平安時代のカルマの消えてゆこうとする痛みであり、2秒前の痛みは江戸時代のカルマの消えてゆこうとする痛みであり、1秒前の痛みは明治時代のカルマの消えてゆこうとする痛みであり、今の痛みは今生の幼少期におけるカルマの消えてゆこうとする痛みである、というように。

 すべての痛みに秘められた因縁因果、因果応酬の物語を、空を流れ去る雲を見つめるように、ただ見つめてさえいれば、すべてが消え去った暁には快晴の心が発現して、心身の病が現れることは金輪際ない。

 人間ひとりひとりが知るべき大切な真理は、どのような不幸・苦しみといえど、現れたことで消えたという事実である。

その事実を知ったうえで苦しみたちを見送っているうちに、何ものにも把われることのない不動心の真我が表面化してくる。

 みずからの意志で真理を求め来る人以外は、本当の真理を教えても心に染み込まないため、ただその苦しみに寄り添って、その心を抱きしめながら、一緒に快癒を祈ってあげること。

 本当の愛には、遠大な忍耐が必須である。

忍耐なき愛は往々にして自己本位であり、みずからの範疇の外にあるものに無関心だ。

この真理に照らして、貴方の愛を本物の愛とせよ。