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いのちのメッセージ 165 永遠の花を咲かそう

 意識進化へ向けた精進努力には、苦痛ではなく歓喜を伴う。

ゆえに、それを継続することで悩苦を伴うとすれば、その人の発する意識の角度と次元のスタート地点がズレていることを意味している。

 無限なる歓喜には、尽きることのない感謝の気持ちがもれなく付いてくる。

それは、駄菓子を買ったら付いてくるオマケのようなものではなく、掌と手の甲のような切っても切れない関係性だ。

 やりがいとは、命が完全燃焼しているときにのみ、感じることの出来る充実感である。

自分の生活や仕事に充実感を感じることが出来ていない場合には、自分の想うこと、語ること、為すことの出発点を見直し、在るべき生命の運用をはかろう。

 誰かに何かを言われたり、なんらかの反応をされて、想念がネガティブな心境の檻に閉じこもってしまうようならば、その人は真我を生きていない。

真我を生きている人は、いかなる物事事柄に対しても、どんな関係性のなかにあっても、他の動きに左右されてぐらつくことのない不動の心を生きているからだ。

 「本当の自分とは何か?」

その明確な回答が、間髪入れずに心の奥から出て来ないうちは、常々その設問をみずからに問いかけ、瞬間的に回答出来るようになり、ついには、その問いを発さずとも本当の自分そのものでありつづけている境界に在るよう、本当の自分が何者かをみずからに知らしめるための反復訓練を弛みなく行うことだ。

 人は本来、宇宙を創造し運行している叡智を分け持つ運命の創造者である。

それ以上でも以下でもない。

 苦しみも悲しみも痛みも恐怖も、本来の自分を忘れ果てていた時代の想念習慣の名残だ。

それらは現れた瞬間に、すでに消えているのだから、名残惜しむことなく消さしめよ。

そのためには、「消えた」と認識することはもちろんのこと、もっと能動的に、宇宙が本来大調和していることを表す言霊を以て意識を上書き保存するとよい。

 悔いなき人生を送るためには、日々のいのちを完全に使い切って就寝することだ。

そうすれば、朝が来ればまた新たないのち生命エネルギーを授かり、活用する機会を与えられるのである。

ゆめゆめ、いのちの出し惜しみなどされぬよう。

 過去でも未来でもない今この瞬間を生きるとき、人は散り去ることのない『いのちの花』を咲かせる。

そのとき貴方は、言い表しようのない歓喜と感謝に打ち震え、消え去ることなきいのちの充足感を覚えるだろう。

 誰の指示や命令を受けたわけでもなく、自然のうちに花開いてゆく宇宙意識こそが、神性が復活した暁の永遠とわの花である。