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いのちのメッセージ 167 内なる世界が投影した事実を認識するために

 己の人生を創造するのに必要な材料も能力も行動力も、すべてが自身の中にある。

しかしながらこれを「無い」と断定する人は、その力を眠らせたままになっているため、それらを活用する能力を発揮する機会に恵まれないでくすぶっているのである。

なんともったいなきこと。

なんと口惜しいこと。

 いのちを発揮して生きるのに、なんの遠慮もいらない。

それを諦める必要もなければ、恥ずかしがることもない。

そのような状態で足踏みばかりして、前に進まずいることは、下世話に言えば、銀行口座に使い切れないほどの貯蓄があるのに、それを無いと思い込み、使うことが出来ないでいるようなことだ。

 外なる世界は、内なる世界の反映である。

それは世間の言う如く、鏡の如き世界ともいえる。

鏡に向かって貴方が笑えば鏡の中の貴方も笑い、鏡に向かって貴方が怒れば鏡の中の貴方も怒って見えるであろう。

また、鏡に向かって貴方が動けば鏡の中の貴方も動き、鏡の前で貴方が静止していれば鏡の中の貴方も静止しているだろう。

他人も他の物質も、みな同じ原理で動いているのである。

 責任転嫁の行為が、魂の幼い境涯の人が行う愚行であることは十二分に認識できたか?

できたなら金輪際、他への責任転嫁をやめ、すべてを自己責任の下に認識することである。

貴方が悪意を持たなければ世に悪人は無く、貴方が動けば他人も動いてくれ、貴方が善意を発揮すれば他人も善意で貴方を見る。

 前述の如く、善意は他に求めるものではなく、みずからが発揮するものである。

己が善意で他を認識せずして、他から善意を受けることのみを要求するなどは、他の哺乳類にも劣る人たり得ぬ行動である。

なかの善意が肉体外に反映している理を心から知れ。

 貴方から見た相対する人の左腕は右の腕に見えよう。

これが相対観念の意識視野の見え方で、相手もまた同様に、貴方を左右反対に見ている。

しかし、心眼を以て観れば、相手の姿は自身を鏡に映したように観えるのである。

すなわち、この世の様は貴方の心の反映なのだ。

貴方が世界を相対的に見るか、みずからを投影したものと観るかによって、世界の見え方がまったく逆に観えてくる。

 貴方を生かすも生かさないも貴方自身次第。

誰も貴方を生かしてくれはしない。

地べたに座り込み、誰かが自分を引き上げ、何処かいいところへ連れて行ってくれるなどというような、甘い話は何処にも無い。

 「疲れた」「やる気がしない」等のネガティブワードを口にすればするほど、貴方は心身を酸化させ、みずからを錆び付かせている。

そのような習慣性から発する言葉を心して慎み、前向きな言葉に翻訳して使うとよい。

 何度も言うが、人を生かしめる原動力は、いのちの光そのものである。

ということは、みずからが自身を生かしているのである。

その事実を認めずして、外の食物や自然に生かされていると感謝するのはいびつな感謝だ。

食物や自然さえも、自身のいのちの投影なのであるから。

 気分がよいから笑顔になる、機嫌が悪いから仏頂面になるというような、自己中心的な言動を卒業しよう。

そのためには、意識をいのちの芯柱に置いて神域の心を生きることだ。

誰だ?

「それが出来れば苦労などしない」などと嘆くのは。

人間は一人残らず、宇宙を創造し進展させている無限の叡智を持つ者なのだから、その気を起こし諦めず、何があっても前に進みさえすれば、誰もが内在するその叡智を発動して使いこなすことが出来るのでる。