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いのちのメッセージ 169 真我を生きる

 心とは神である。

いのちの光は存在の芯であり、その芯が自己の真であり、真の自己が心であり、心は即ち神である。貴方が自分だと思ってきた自意識は、その神から来る生命エネルギーを誤り用いて、エゴとかしていたカルマの消え去りゆく姿である。

 真我を表して生きていないかぎりは、人として成熟した存在になり得ない。

「自分はそれで結構。成熟などしたくはない」と思うのは自由だが、そのような人は世の調和を乱し、地球の完成を遅らせる足手まといとなるため、今後の生存はかなり厳しい立場に追い込まれるであろう。それはほかでもない、自分自身の意識運用によってである。他の何者も貴方の足を引っ張ることは出来ない。

 霊化した現代にあって、人間として産まれてきた本当の意味を思索する人は、必ずその真実をみずからの内側から思い出すときが来る。

倦まず弛まず諦めず、愚直にコツコツと自らが信ずる真理を実践してゆけば、必ず意識が開けて、別人のような意識視野を持つときが来るものだ。自らを信じよ。さすれば道は開かれん。

 真我を忘れていたからこそ、苦悩が絶えなかったのだ。

生命の真実に立脚した真我を確立すれば、すべての苦悩は自ずと霧散する。

 自分とは何者かを知るために、人の話を聴いたり、書物を手にするのもよい。

しかし、本当の自分は自己の奥にしかないものであるから、内なる宇宙の開発なしにはそれはなし得ない。

 呼吸を深めよ。

ゆったりとした呼吸のリズムに身を任せて、脳裏をよぎる想念群を自らとせず俯瞰するのだ。

ただその一点に意識を集約していれば、想念の雲の奥にある真我は自ずと顕れ来る。

 痛むこともあるだろう。

悲しいこともあるだろう。

辛いこともあるだろう。

しかし、そのすべてが貴方の魂を成長させる糧である。

 他人の目を気にして萎縮する必要は毛頭ない。

大切なことは、貴方自身がどう認識しているかである。

貴方の世界を形成しているものは、自身の意識のみであった理を心底から認識すれば、他人の目を気にすることは、いのちを殺していたことであったことを悟り、そのような意識運用がばかばかしくなるときが来る。

おおらかに生きよう。

 貴方にとっての善人も悪人も、貴方の想念がつくり出した幻想であり幻覚である。

肉体に同化して生きている想いには、善悪正邪があるように見えるだろうが、生命の真実から観れば、神聖なる宇宙創造の分光があるのみである。

 この世にいようとあの世にいようと、日本にいようと地球の裏側にいようと、男が女に性転換しようと女が男に性転換しようと、貴方が貴方であることだけからは逃れられない。

好き嫌いで環境やあり方を変えたところで、また違う嫌な思いを抱いたり、別の苦手な人が現れてくる所以である。

すべての原因は自らにある。

潔くそれを認められれば、貴方はその足踏みをやめ、前進することが出来るだろう。