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いのちのメッセージ 176 祈りと認識力

 自分がどんなに駄目な人間だと思えてさえも、人は自らの神性を認めなければならない。

神性を認めぬ人間観に押され、いのちの真実を直視できないでいることこそが、地球人類の悲劇であるからだ。

 他人(ひと)がどんなに過ちを繰り返す愚を犯し続けていてさえも、人は人類の神性を見失ってはならない。

神性を見失ったところにこそ、擦れ合いやぶつかり合いが生じ、互いが自他を傷付け、貶め合っていることを知れ。

 人類よ。

地球人類よ。

人間生命の本質に目を向けよ。

地球を輝かせるも、くすませるも、貴方がたひとりひとりの生き方如何にかかっている。

 誰かと誰かが不調和な関係性に至った時、端にいる人たちはどうすればよいか。

大方の人は、どちらかの側について肩を持つか、双方に理解を示して調停を試みるかするだろう。

しかし、それで一時的に事態が収まったとしても根本解決になりはしない。

本当の根本解決を導き出す方法は、同じ穴の狢になることなく、いのちの光を発光することだ。

その方法が祈りである。

 祈りはいのちの光を響き出す方法であり、生命光を放射する最勝最智の手段である。

真の祈りに取り組む人々が増えれば増えるほど、その光に触れた人たちがまとうカルマのサウナスーツを脱がせ、本来の軽い心身を思い出させるものである。

 どうして肉体人間は、自分がされて嫌がることを他人にするのか。

思い合う心を忘れた人は、過去世の善縁にて一時的に、どんなに家族や仕事に恵まれたとしても、けっして幸福な末路を迎え得ない。

 「やらなければやられる」と人は言う。

しかし真理からいえば、その程度の意識レベルだからこそやられるのだ。

 気高くあれ。

そして、生命の尊厳を自他に認め、マイナス面を消え去りゆくものと観るのだ。

何人たりとも自他を傷付け、損なうことのないように。

 二元対立の人間観を卒業しない限りは、人生から不調和が尽きることがない。

それは他の誰のせいでもなく、自己の認識力の幼さによるものである。

 認識力を深め、広げ、高め上げるコツは、日常茶飯事に深い呼吸を継続するところにある。

これがわかるためには実践する以外にはないため、どんなに言葉を尽くしても伝わらないのがもどかしい。

貴方が貴方の直観によって、自らの呼吸を深めることを祈るのみ。

 

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