いのちのメッセージ26

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 人が人たる真の所以は、すべての生物と大自然を護り共生しながら、宇宙の豊かさを星の世界に展開してゆくところにある。

 宇宙原初意識たる《いのちの大元》から観れば、ありとしあらゆる存在・現象は、己が内なる世界の一部である。

 人類が意識進化を果たし世界が真に平和にならなければ、いま手に入れているささやかな個人の幸せも安寧も、真に安定したものとはいえない。何処かで核爆弾が落とされたり、大津波がきて全てが流されたり、大地震で町が瓦礫となってしまえば一瞬で消えて無くなるような、はかない幸福を追い求めて何になるか。それ故に、すべての人が為すべきことは、どのような個人的願望もひとまず脇に置いて、何よりも優先して世界の調和のために働き、自らが何事にも左右されない幸福をつかむことである。

 全体の平和よりも個人の幸福を追い求める想いは、同様な想いの波とバッティングし合って、世界に不調和をもたらしている。それらを総称して《カルマ想念》というのである。

 人は個のためではなく、真実に全体に奉仕して生きていると、望まずとも幸せに生きられるように設計されている。

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 奪い合いの末に勝ち取った豊かさはいつか奪われ、また奪い返さなければ享受しつづけられない。横取りの豊かさではなく、縦取りの豊かさを築くことだ。そのためには、いのちの光を発現して人事を尽くすことである。

 すべてがアセンションすると、霊格と豊かさがイコールの世界になる。

 『我思う、ゆえに《いのち》あり』である。その真意は、着ている服を着替えても、持っている家電を買い替えても、住んでいる家を住み替えても、見慣れた街の風景が変わっていっても、地球世界がどのように変化していっても、付き合う人が移り変わっても、今あるこの肉体を脱ぎ捨てて魂だけになっても、どれだけ輪廻転生を繰り返しても、何がどうあろうとも変わらぬものは《いのち》がありつづけることだけである。いのちの光だけは、何が変わろうと変わるまいと永遠に輝きつづけ、次元空間を超えて普遍宇宙に実在している。いのちの光の存在だけは、どんなに疑っても疑いきれない確かなる真実であり、それこそがみずからの本体そのものである。

 一人一人に大生命から分け与えられた天命がある。個々人のハイアーセルフは、それを果たさせようと運命環境を調えているのだが、多くの人間はその陰の尽力に気づかずに、好き勝手な方向へ進んでは行き詰まり、にっちもさっちもいかない人生をかろうじて歩んでいる始末である。そのような生き方をしてきた場合には、『人間生命はハイアーセルフと己の霊体・神体を含めて一人の人なのだ』という生命原理を知り、みずからの第一直観(ハイアーセルフによる善導)に従って迷い無く進むことである。そうすれば、おのずと天命を果たす道を歩むことができるのである。「表層意識だけが人間である」などとは、努々思わぬことである。

 一人一人の人生模様は、一生をとおした楽器演奏のようなものだ。人類という楽器が寄り集まって演奏されている地球人類交響曲がどのような音楽であるか、心を鎮めて聴くがよい。今は何とも不協和音だらけのその音楽を、今後心地よい響きにするのもしないのも、一人一人の生き方にかかっている。個々人のいのちの光の大元にある大生命のタクトに合わせて、天命を果たして生きてさえいれば、その地球人類交響曲は、何処の星の方々に聴かせても恥ずかしくないものになるのである。