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いのちのメッセージ38

 神性(真性・人間の本質)を顕さずに生きているならば、それは目を開けながら寝ているのと同じである。

 固定観念は、神性を隠蔽する心の垢。

 すべての肉体人間のうち、神性を持たない人はいない。故にすべての人類は、やがていのちの本源を思い出し、神性意識にて宇宙の発展のために働くようになるのである。

 なぜ神性復興・神性復古・神性復活等の言葉があるかというと、人間は本来、元々神の分霊であり、その本然の姿に還り、神性を肉体世界に顕そうとしている存在だからである。

 想いがいつも浮ついて、ドカッと腰を落ち着けてひとつの物事に取り組めない人は、魂鎮めをして、みずからの神性とのパイプを太くすることがよい。

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 想いがいつも沈みがちで、ドヨドヨした心もちに支配されがちな人は、魂振りをして、みずからの神性を発揮して生きることがよい。

 魂鎮めといい、魂振りというも、神性と表面意識がつながっているという実感なくして行えば、その効果も半減するため、ほんとうはまず初めに、《神性開通の儀(神意識のみを生きる誓いの宣言)》を執り行い、そのうえで、時と場合に応じて使い分けることがよい。それは、自発的な意志さえあれば、誰かに頼らなくとも、必ず心の奥の天に通じ、神性開通がめでたく成るのである。その成否は、誠心をもって、やるかやらないかだけである。

 《神性開通の儀》は、「私は、これから先の人生を、神意識のみで生きてまいります」というような言葉で、みずからの本霊に対する誓いの宣言を行う個人儀式である。それは、自分とかけ離れた天にまします神さま仏さまに対する誓いではない。真実に真向かう(一体化する)べきはみずからの神であり、それ以外の神々は感謝の対象ではあるが、みずからにシッカリと顕す神、真向かう(一体化する)神ではない。

 みずからの心内のこととして、《神性開通の儀》を執り行って以降に、神性にもとる想念や言葉や行為が出てきてしまったとしても、そのことでみずからを、いちいちとやかく評価・批評しないことである。評価・批評し、つかみさえしなければ、表れた本質にもとる想念行為は消え去り、二度と表れることはない。「やってしまったなあ」と思ったら、それをつかんでよい悪いなどと思わず、みずからの本霊に感謝を捧げ、真向かう(一体化する)だけでよい。

 人間誰しも家族があり、先祖代々の家系に属しているように、魂はいずれも、何処かの霊的集団に属している。そのなかでも、地球世界救済の天命を帯び、地上に降りて働く人たちはすべからく、人類守護の神霊群に属している。現在ではそのグループは、地球進化をサポートする宇宙人類と連携していて、あの世の世界では知らぬ者のいない霊団である。また、とくに守護霊・守護神たちにとっては、そこへ属することは最大の栄誉であり、被守護体である肉体人間たちを護る力がいや増すのである。それは、被守護体である肉体人間側の意識が、すべき神性発現を成し、人類救済の霊的働きに加わることによって可能である。また、すでにそのグループに属する人に縁のある人は、肉体側本人が知らない間に、先に守護の神霊が人類守護の神霊群の働きに加わることが認められ、強力な守護の力を発揮して、護っている肉体人間のアセンション・次元上昇・意識進化をサポートしているケースもある。そのようなことは肉体人間たちには、まったくあずかり知らぬことなのではあるが‥‥‥。