いのちのメッセージ39

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 地球上に住む肉体人間には、おおむね二種類の発生の経緯がある。それは、他の進化(霊化)した星から地球霊界へ転籍し、そこで魂魄(こんぱく)をまとい、みずからの波動を粗くして、物質化した身体に入った肉体人間と、魄(はく)を集め創った肉体に、魂(こん)をまとった霊体を入れて創られた肉体人間である。

 この星にて分霊されて誕生した土着人類のなかには、魂年齢が若いために、本霊意識が表面意識に顕れるパーセンテージが少なく、故に他人に迷惑をかけても意に介さず、おのが欲望達成・願望成就に強くしがみつき、社会の調和を乱すものが少なくない。しかしそんな彼らも、神性科学の進展が成されて以降は、その科学力を使うために必須の神意識・神能力を顕すことの大切さに目覚め、調和世界の発展に向けて、大いに力を発揮するのである。

 人類に父性と母性があるように、地球にも父性と母性がある。母性なる地球は、人類の様を哀しみ、その行く末を案じているが、父性なる地球は、あくまで宇宙法則に則ることを最優先にし、地上の浄化をなさんとしている。地球の父性は、この星の不調和な様相が宇宙へ及ぼす悪影響を案じ、「体表の悪性細胞を駆逐してもよいか」とたびたび天に相談しているが、そのたびに天は、「光の救助隊を送り込み、彼らを育てていて、もう少しで育ちあがるところだから、しばしの間待ってほしい」と、地球に要請し、受け入れられている、というのがこの星の奥の現状である。

 古代シュメール人が書き残したとされる旧約聖書『創世記』におけるアダムとイブの話は、宇宙の他の星から来た人類が、自分たちの本質である神性を忘れ去っていった経緯が、一組の男女の物語として、比喩的に描かれている。彼らが食べた《善悪の知識の木の実》とは、ワンネスの記憶を失う分別心・分離認識の発生を意味しており、その分別・分離心ゆえに、自らの身を守ろうとする肉体保存の自己保身感情が生まれ出たのである。その最初の始まりが、イチジクの葉で腰を覆ったとされる箇所である。

 ワンネスの心を忘れ去った元宇宙人類は、いのちの世界から受け取ることができる無限なる供給を忘れ果て、必要なものを横取りするようになっていった。それが、地球上における人類の闘争に次ぐ闘争の歴史の始まりである。

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 現在の人間界におけるこの世への誕生は、生まれてくる予定の霊人が、霊界の誕生待合場で、守護の神霊がピックアップした複数の両親候補の人間界における様子と過去世の縁を総合的に見て、守護の神霊と相談のうえで、最終的にみずからが地上の両親を選ぶのである。そのとき地上では、母親となる女性の体内で無数の精子が巡り合うべき卵子を探し求めており、霊界で両親を決定したと時を同じくして受精卵が誕生し、そこへ守護の神霊の手により意識を眠らされた霊人が入り込み(物質界へ送り込まれ)、10か月ほどの間に、霊界と肉体界の隙間を埋める魂(コン)をまとい、魄(ハク)元素を集めて肉体各部を創り上げ、月日が満ちた瞬間に、母親の体内から地上の世界へと生まれ出るのである。その時点では、よほどの高級神霊でない限りは、生前の記憶を消滅した状態で生まれ出るものである。

 大概の日本人は、おおむね穏やかで、何ごとも周囲と調和して行おうとする傾向がある。自己主張をハッキリとしないで周囲に合わせようとするのは、腹を読む習慣のない世界人類と対等に付き合うことを第一に考えれば、「何を考えているのかわからない」と思われやすく、その点では短所ともいえ、損をすることも多い。だがそれは、霊性・神性を物質世界に調和させる天命をもった日本、即ち霊(ひ)の元の民に共通した性質であって、宇宙から観ればその性質は、損得を超越した大いなる長所である。自己をむなしゅうして全体に奉仕するそのこころは、世界人類が真似するべき、未来の地球人類のあり方である。

 機械やコンピューターに仕事を奪われ、やがてはそれらに人類が支配される等の説をまことしやかに垂れ流す御仁があるが、そのような説は、人類の本質や物質波動と精神波動の科学的本質を見誤った流言である。未来の科学では、人が物質にこころを通わせ、己の分身として、その物質を使いこなすようになるので、人類がコントロールできない物質が誕生することなどはない。

 緊張は、いのちの光が心身に流れ入る妨げの一つである。みずからの心身のこわばりに気がついたなら、肩を上下にゆすってこわばりをほどき、背筋を伸ばして、大きく深呼吸をすることがよい。

 体がこわばる原因は、寒いときやわかりやすく緊張している場面ばかりではない。リラックスしている気でいながら、実は肉体をこわばらせて、心身にストレスを与えているケースもあるのである。常時の深い呼吸が身につくと、そのような気がつきにくいこわばりも取り除かれて、生命光が豊かに流れ入る体質に変わるのである。

 安らぎは無心に宿る。無心とは、母親に身を任せて、安心し切っている赤子のようなこころをいう。