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いのちのメッセージ41 ~ 自我(個我)からの卒業

自我(個我)からの卒業

 「自分が自分だと思ってきた自分は、真実の自分ではなかったんだなあ」 ~ そのように腑に落して想え、心の底から納得できたとき、人ははじめて内部神性の入口に立つ。

 自分が、自分に、自分を、自分で、自分は等々、自分自分と魂魄こんぱくに張り付いた自己認識をスルリと脱ぎ捨てよう。

 魂魄に張り付いた自己認識の殻を脱ぎ捨てると霊性世界が開け、展開してくる。そこで、脱ぎ捨てた殻を再び身に付けさえしなければ、エスカレーター式に進学できる学校のように、神性世界へとステージアップする日が必ず来る。

そこは個我を卒業した世界、常に全体の調和を第一にして自己の言行をなす世界、諸神聖霊が一堂に会する世界である。

次元上昇をすると肉体にありながら、そのような世界に身を置くことになる。

 この世の30年、50年、70年など、あっという間に過ぎてゆくのだから、いちいち目の前の出来事に一喜一憂をせずに、ただただ神性のみに意識の焦点を合わせて、消え去りゆくカルマたちを、奥のこころで天に還元しつづけてゆくことがよい。

 意識進化を志向して生きてさえいれば、過ぎ去ってみればどのような体験・経験も、自分に必要な魂進化の糧だったと知るときがくる。

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 これからの世界では、「私(たち)が救うから、助けるから、こっちへおいで」というような言葉を、今まで以上に見たり聴いたりするかも知れないが、感情想念が自分だと思う境涯にある間は、それらの言葉を真に受けて安心してはいけない。

何故ならば、己以外にみずからを真に助けられるものなどないからである。

仮に天変地異や大人災が起こり、神仏や宇宙人類によって、神霊界や宇宙船に引き上げられ、難を逃れるようなことがあったとしても、自分と神性がかけ離れている場合には、そこに居続けることが苦痛になって、意識に応じた階層世界へ、みずから転落して逆戻りしてしまうのである。

ゆえに真理の眼で観れば、本人以外にその人を真に救えるものはないというのが、実際ほんとうのことなのである。

 意識進化した世界では、人は何もの何ごとにもとらわれることがないため、過去のようにカルマを増殖させて、因縁因果の生き方を繰り返すことがなくなる。

 宗教的に言うところの《空の世界》は、なにもない世界、虚無な世界などではない。そこは、《有ると思っていた三界が無く、無いと思っていた無限なるすべてが在る世界》である。《色即是空空即是色》とは、それを端的に表現した言葉である。

 「自分が自分だと認識していた自分が、実は夢の中の登場人物だったんだなぁ」と、床から起きだし、目覚めた意識で想えるようになったなら、ハイアーセルフ意識が顕在化して、観るものと観られるものをさらに俯瞰するもう一段奥の自己が顕れてくる。

 宇宙人類社会で扱われている生命科学が地球界に普及するまでは、審神さにわ力が発達している場合を除いて、霊的なメッセージの類は、話半分に聞いておくのがよい。

なぜならば、「私に現れたキリストはこう言った」、「こっちのキリストはそうは言っていない」などと、異なるメッセージが乱立して、見えも聞こえもしない人は何を信じてよいかわからなくなるからである。

人は誰でも真実の解脱を果たすまでは、当人のみの真実を生きているもので、その実態がたとえ幽界の生物であっても、その当人が「これは偉い人だ」と認識すれば、その人にとっては偉い人が現れたことになるなのである。

しかし、歴史上の有名な聖者賢者の名を使って、権威を笠に着てばかりいる人は、肝心の自分自身が神我かみわれ一体の心境になっていないことが多く、メッセージと称してワンネスを説きながら、自分が分裂している(たいした人物で無い)という矛盾をそこに露呈し、さらけ出しているので、見聞する側が注意する点としては、よい話を伝えているその人自身が実際にはどうなのかを観察すれば、そのメッセージの真贋を見抜き、スピリチュアル難民の域を脱して、他人に聞かなくとも自己のいのちの光から、自分にとって必要なメッセージを、自分自身が受け取ることができるようになってゆくものである。

やがて精神世界のすべてが科学で解明される時代になると、見えも聞こえもしない世界の謎が存在しなくなるので、五里霧中のなかで、真実を手さぐりするようなもどかしさがなくなるその日までは、知りたいことは自己のいのちに聞いておくことが、一番安心で、信用がおける情報源だといえるのである。