いのちのメッセージ50 〜 認識と責任、宇宙の原理

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認識の自由と創造の責任

 人間は、自己の世界の創造者。あると思えばあり、なしと思えばなし。認識こそが、すべてのすべて。

 肉体性の個人が認識するジャッジメント・審判は、他の何ものもそれを覆すことができない。何故なれば、《宇宙大生命》は、個々の人間意識に《認識の自由》を与えられているからである。

 《認識の自由》には、《創造の責任》がセットになっている。その関係性は、手の甲と掌のように切っても切れないものである。責任を伴わない認識はないのであるから、何を想念する際にも、感情の赴くままに想うことを自重し、全体の調和に(かな)う認識だけを吟味して想念することがよい。

 自らが認識をし、その結果を創造しておきながら、受け入れられずにあがいているのが、ほとんどの人間である。それは、自らの置かれた立場・環境・世界を創造したのが、他でもない自分自身であることを、認めたくないエゴ想念によって、正常な判断力が曇っている結果である。エゴは《いのちの光》によって生まれた恩義を忘れて、生命光、真理に対する反発・謀反を起こし、自他を傷つけ、最終的には、自らを自滅に追い込み、世界に不調和の波をまき散らかしている。地球が次元上昇するためには、これらすべてのエゴが成仏をし、ともにアセンションできる環境(磁場)を構築しなければならない。そのためにも、ひとりでも多くの人が、生命意識に目覚めてほしいというのが、全人類の心奥にある天の心願である。

 真理の観点から観れば、責務を引き受けられない認識をしてはならない。全ての“ひと・もの・こと”に対して、「◯◯は△△だ」と認識力を使用して現象を定義する際には、認識をしたことによって生ずる、如何なる結果をも甘受する覚悟をもって為すべきである。極端な話をすれば、簡単に殺人を犯すような人物の想念及びその結果は、三次元における絶対時間に換算すれば、数千年から数万年(場合によってはそれ以上)にわたる償いと反省の生命負債を自らに負わせるものであり、本人が心底から、「間違っていた、悪かった、申し訳なかった、もうしません」と、自分のいのちの光に対して誓い、心を入れ替えて、いのちの光の側の意識体として、生き直す日が来るまで、絶え間なき苦行の日々を、自らに強いる結果となるのである。そんな大きな話ではなくとも、自他を傷つけ損ねる類の想念一切が、未来の自分に苦行を強いることなのであるから、心は常に清く保ち、想念を凶器にしないよう、努めて慎重に想念行為を為すことだ。そのためには、深い呼吸を常時の呼吸とすることが、他の何事にもまして効果的である。正常な精神の人ならば、そのようなことは誰も望まないのであるから、感情に流されて想念行為しないよう、常に深い呼吸で鎮魂して生きよう。

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宇宙の構成原理

 宇宙の根源、大宇宙生命光は、元々の始まりに、7つの光に分かれて放射され、宇宙空間・各種次元・恒星、惑星・それぞれの星の世界を創造された。故に、ありとしあらゆる存在の構成元素は、すべて【7】が基本になっている。【7】は調和の数であり、【7】は真理の数であり、【7】は完成を表現する数なのである。

 これまでの地球は、宇宙を構成する7つの直霊光のうち、5つの波動だけが働きかけて、万物(精神性と物質性)を構成していた。その状態は、大宇宙心の自在性を顕すには欠けたる状態であり、精巧緻密な精神性と物質性をそこに顕現することのできない世界であった。

 2016年現在、正確には20世紀の半ばから、地球には6つめの宇宙根源光(波動)が働きかけており、この波動が全地球のあらゆる次元に行き渡り、深く深くしみわたって、すべての人類の身も心も6つの光の波動圏に入り込んだとき、そのときようやく地球世界を完成させる7つめの光、波動が宇宙の根源から照射されて、地球完成の段階に入ってゆくのである。そのときこそ、地球世界が宇宙社会に開かれるときであり、精妙な神霊波動だった円盤の姿が、誰の目にも明らかに、空を飛ぶ飛行機を見るがごとく認知されるのである。そのとき、宇宙人類は地球人類に、意識の目覚めを促し、宇宙社会への招待状を送るのだが、その招待状を受け取るも受け取らないも個人の自由である。

 大宇宙のあらゆる精神性と物質性は、【7】が揃って【1】となり、【1】が7つ揃って又【1】となりを繰り返し、宇宙根源へとさかのぼってゆく構造になっている。故に、地球界に7つの波動が揃い、完成した暁には、すべての人類は【1】に還り、真のワンネスを体験するのである。そして、そこからまた、新たな進化の世界が始まるのである。そのようにして、宇宙は進化創造を繰り返しているものである。

行動しなければ望みは叶わない

 空を見上げて、「UFOが現れないかな」、「救世主が助けてくれないかな」、「早く星の世界に帰りたいな」と、甘い夢想に浸る想いは、その時がくるのを遠ざける想いの動きである。何故ならば、そうなるための具体的活動を何ら一切為さず、夢を見ているだけだからである。素晴らしい世界の到来を夢見るのならば、素晴らしい自分、神性の自分、アセンションした自分、意識進化した自分を、身にも心にも表し、想念・言葉・行為に、その波動を表現しなければいけない。それをせずして夢を見ることは、棚の上から牡丹餅が落ちてくるのを待っていることとイコールである。