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いのちのメッセージ55 ~ 癒やし・救われ、ワンネス 他

癒やし、救われ

 誰かに助けられた、救われたと思ったとき、ハイアーセルフの眼は、他人の言動のなかに、自己の《いのちの光》を見いだしている。

 真の癒やしとは、《いのちの光》が肉体性の自意識に顕れたときに生じる。それは、いと穏やかに、自然裡のうちになされ、いつの間にか快癒しているものである。心が光っていないのに、急激な効能を求める場合には、そこに反動が生じる可能性を覚悟して求めなければいけない。

 《いのち》は、肉体想念が邪魔をしなければ、《こころ》においても、《からだ》においても、常に完璧に新陳代謝を果たし、健全に運行されている。故に、自分が自分だと思っている《想い》をかばわず、《いのちの光》に飛び込んで、《いのちの意識》の自己として、《こころ》と《からだ》の運用に参加しよう。

ワンネス

 ワンネス意識から観れば、他人という別人などはなく、すべての 人類が自身の多面的表れだった。他人という別人格など何処にも存在していなかった。

 《いのちの眼》で観れば、自分とは別の他の人だと思って見ていた、肉眼に映る他人の姿は、自己の想念の投影だった。よい人も悪い人もいなかった。

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宝玉の体験

 肉体界での種々の体験をとおして、暑寒・善悪・高低・貧富・清濁等々を感じられることは、真の有り難さを知ることができたという意味において、魂を大きくする貴重な体験、宝玉の思い出だった。

 “前例を求めずに、未開の荒野を歩いていた”と思っていたのは、肉体側の勝手な思い込みだった。どのような体験さえも、《いのちの光》の側から見れば、いつか来た道だったのだから。

 いろいろな星で、様々な体験を積み重ねたことは、表面意識や潜在意識の届かない、はるか深奥のこころのアルバムに収められ、自身が何か新しいチャレンジをなすときに役立てられている。だから人間は、何ごとをなすにも恐れる必要はない。

ハイアーセルフの眼 ― やさしさと厳しさと生命光

 他人にやさしさばかりを要求する人は、自分の心のなかにある不必要な思い込みやこだわりを外すことから始めなければいけない。他人はあなたに、わざとそうしようと思って、意図的に接しているわけではなく、あなたの内面から発する磁力が相手の言動を引き出し、自己の内面を投影して見ている姿であるからだ。

 生命そのものの愛には、大きく分けて二種類ある。それは、柔和なる愛と、峻厳なる愛である。人間は、やさしさだけではふやけた甘え人間になるし、厳しさだけでもへこたれた負け人間になる。それらはともに、人間の本質である神性とは、遠くかけ離れたカルマ想念が、表れては消えてゆく状態のループである。故に、ハイアーセルフは、被守護体の精神状況を、内部から常時観察していて、適時適切な愛の光を投げかけ、魂を練り上げ、立派な神人に育て上げようとしているのである。それらの愛を、他人の言動のひびきから感じ取れるひとは幸いである。