いのちのメッセージ70 ~ 真心

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真心を込めて生きる

 真心を込めて生きる。それだけでよい。

 真心を込めて為された仕事は、それが社会的地位の低い仕事であっても、世の中を輝かせる一助となって、地球の完成に寄与している。

 どんなに権力や地位があっても、その想いに真心薄く、自己顕示欲や権勢欲にまみれている場合には、大きな働きを為すせっかくの立場を台無しにして、社会に不調和な波紋を描いている。

 真心を込めてつくられた食べ物には、心のビタミンがたくさん入っているため、食べた人みなを幸せにする。

 真心を込めて制作された音楽や絵画、文章等の芸術や文学には、神域の響きが宿っているため、人々の心を揺さぶる神性エネルギーが発せられている。

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 たとえ今ある環境が、真心の大切さを忘れた人の群れのなかにあったとしても、周囲に同調して、真心を捨てることがあってはならない。目先の利害得失にとらわれず、永遠の生命の眼で観るならば、最後に残る(勝つ)のは真心なのだから。

 今というこの瞬間に、永遠のいのちを輝かせる智慧は、真心のなかからしか生まれない。今さえよければ過去も未来も関係ないという、刹那的生き方のなかに真心が輝くことはない。

 子どもがある程度の年齢になったなら、どのような道へ進むかは、彼らの判断に任せることがよい。子どもの選択する人生に口出しをせずとも、「どうか、あの子の真心が花開きますように。天命が果たされますように」と祈ることは、子に対する最大のエールになるものである。その祈りの光が、彼らの未来を輝かし、道を切り開く力となるものであることは、あの世から観れば一目瞭然の事実である。その祈り心は、悟った先祖たち共通の祈り心なのだから。

 神域に生きる人たちにとって、誰かの真心なき想念・言葉・行為は、虚ろでフワフワと移ろいやすく、放っておけば生命光のなかに溶け去るものと認識されるため、まったく心に残る(引っかかる)ことがない。故に、ジャッジの対象にもなり得ない。

 肉体人間は、自分のなか(想念領域)に波長が合う想念因子がある場合には、誰かが発した真心なき(薄き)言動行為が脳裏から離れず、それらをジャッジのナイフで八つ裂きにしようとする傾向がある。その刃が、みずからに向けられたものとは気づかずに。