いのちのメッセージ71~ 無限なるすべての発露③

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無限なるすべての発露

 誰ものなかに内在する無限の自信を思い出し、自覚して生きるためには、自己存在の根源エネルギーである<いのちの光>に、常時深呼吸をもってシッカリとつながることである。単なる想念体としての《想いのみ》を自己として認識していたのでは、何もの何ごとにも動じない程に強い自信を認識することは出来ない。一片の不信もなく、真に自分を信じている状態というのは、《いのちの光》の実在を全面的に信じ、《いのちそのもの》になって生きている精神状態である。

 誰ものなかに内在する無限の生命光は、常時の深い呼吸のなかから顕在化してくる。その顕れは、無限という言葉が示すとおり、限界も限度も期限もなく、太古の昔から永劫の未来に至るまで、大宇宙を貫いて輝きつづける光である。呼吸が浅い場合の生命光の顕れ方は、わかりやすい例でいえば、厚手のカーテンの隙間からほんのわずかに覗ける外光程度のものである。

 誰ものなかに内在する無限の色彩を駆使すれば、人生という真っ白なキャンバスに、色鮮やかで躍動感溢れる絵画を描きあげることが出来る。

 誰ものなかに内在する無限なる音のハーモニクスをキャッチすれば、人生における調和性のあり方が直感的に腑に落ちてわかるものである。それは、ユニゾンなり和音なりの在り方が、人と人、人と自然、人と生きとし生けるものの関係性を表しているからである。

 誰ものなかに内在する無限の創造性を使いこなして生きている人は、人生に不平不満を感じることなく、より素敵で、より豊かな人生を築きあげている。諦めの牢獄に自らを閉じ込め生きる多くの人類もまた、その気になりさえすれば、真理の波動圏に入り込み、内面から溢れ出る無限の創造性を駆使して、人生を豊かに生きることが可能である。

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 誰ものなかに内在する無限の建設的思考は、二元対立観念を超越せし徹底した光明思想という基礎・土台のうえにのみ、発展的に展開することが可能である。その基礎工事がシッカリ行われてさえいれば、みずからの建設的思考を駆使して、大規模建築物(すべてを生かす人生)を構築することが誰にでも出来る。その際の留意点としては、徹底した光明思想という基礎・土台の下部構造工事は、無限なる生命という地盤のうえに建設しなければ、紛い物・不良建築物(外的要因に左右される人生)となってしまう点に注意しなければならないということである。

 誰ものなかに内在する無限の構築力は、人類のみがもてる、無限なる理性のうえに成立する能力である。宇宙の理に沿い、理路整然と為すべきことを認識し、それを感情想念に流されることなく淡々と行動に移してゆけば、誰もが成し遂げたい人生を、思いのままに構築することが出来る。

 誰ものなかに内在する無限の理性が発動している状態とは、《いのちの光》が表面世界に顕れている姿である。何故そう断言出来るかというと、みずからの意識が《いのちの光》そのものであれば、宇宙の理である大調和から外れた想念が脳裏をよぎることがまったくないため、自己存在が宇宙の理性そのものに成っているからである。

 誰ものなかに内在する無限の生産性は、宇宙に遍満する無限なる叡智とアイデアを駆使することで、みずからの仕事を宇宙調和に寄与するものと出来る能力である。それは、オーダーメイド生産でありながら、大量生産の迅速性を兼ね備え、その欠点であるムリ・ムダ・ムラのない理想的な生産体制である。この無限の生産性を駆使して働くことが出来るのは、人類を卒業した神類である。またこの場合の生産性とは、物質の生産に限らず、精神エネルギーによる生産が主であることを付け加えておく。

 誰ものなかに内在する無限の実現力は、神域の意識をもつ人たちにとっては、標準装備の能力である。多くの地球人類は、未だこの能力の実在に気づいていないために、不要な我慢をみずからに強いて生きている。そのうちの一部の人は、そうしたストレスが高じて、精神を病みながら生きるという、自己限定の末路にみずからを縛り付けてしまっている。そのような状態の人は、使い切れない程の蓄えを銀行口座に持っているのに、その事実を忘れて、「自分は貧しい人間だ。だから貧乏な暮らしをするのが当然なのだ」と思い込んで生きているようなものである。その根本的勘違いを意識の根底から拭い切って、生まれ変わったつもりになって生き直せば、みずからの状況を劇的に改革することは、誰にでも可能である。