いのちのメッセージ82 ~ 想念習慣を超えるために知っているとよいこと

Sponsored link
Sponsored link

想念習慣や思い込みを超えよう

 脳裏にこびりついた思い込みほど手の焼けるものはない。しかし、それを乗り越え、その内奥にある生命意識を思い出し、還流してゆくところに、意識進化の妙味がある。

 打ちのめされるほどに思い知らなければ、その認識の過ちを改めない人類は、激しい渦潮のような自らの感情想念習慣が現実化した運命の渦中で、瀕死の痛手を負った末にはじき飛ばされたとき、ようやく心の三半規管が狂っていた事実を認め、生き方を改めるに至る。繰り返されてきた歴史の過ちを手のひらに乗せて観ることが出来れば、素直という素養の有り難みをかみしめるのが早ければ早いほど、心身の痛み少なく意識進化出来るという事実を観て取ることが出来るのだが。

 自分の人生に、同じ不幸が絶えず繰り返されるというような場合、人は往々にしてその原因を自分以外の他に転嫁しがち。しかし本当の原因は、すべからく自らの想念習慣の過ちと、それによる想念言行の現実化にある。そのことに気がつくためには、苦悩を避けず、受け止め、味わう勇気が必要で、その次の段階として、生かされている事実への感謝、みずからの生命への徹底した感謝がある。片方の想いで、今は不幸せだと思えても、もう片方の心で、謙虚に感謝しつづけられる人は、いつの間にか生きるステージが切り替わって、名実ともなる幸せの境涯に生きていることにさらなる感謝が湧き起こって、不幸の連鎖に戻ることが二度と無くなる。

 この世に対して思うほとんどの認識、他人や社会に対して感じる大方の感情は、この世の他人や社会に対して、無私の心で客観視した認識や感情ではなく、自我というレンズで屈折した認識感情を思い見ていることが九割以上である。その屈折率が少なければ少ないほど、自我が薄まり、真我を生きていると言える。この世のすべての苦悩は、宇宙法則である大調和の軌道から外れた想念習慣の繭にくるまっていたことを思い知るために存在しているもので、その過ちに気づき反省して、生き方を改めさえすれば、少なくともその人の人生からは、苦悩は消え去り、生命本来の安寧がよみがえる。

280523

運命

 現代においては、過去世無く生まれて来る人はいない。故に、生まれた瞬間から一律の運命を辿るケースはまったくなく、完全なる平等社会は夢物語である。この事実から人が学び取り、実践すべきは、他者との競争に勤しんだり、勤しませることではなく、自分自身をどれだけ高め、深めてゆけるかという、向上心の現実化に注力することである。その尊さを知り、みずからが率先して意識進化をはかりつつ、日々を生きる以外の大事はない。

 運命をつくっているのは、自分自身の過去の想い方と生き方であり、それ以外の何ものでもない。未来をよくしたければ、今を嘆くことなく、前向きにとらえ、自分自身の想念習慣を洗い浄め、磨き高め上げる日々を送るのみ。苦労なく、楽をして得ることの出来た幸せは、ことごとくが砂上の楼閣であるを思い知れ。

 人により差異はあるが、運命の八割は、過去世の想念言行によって形成されており、残りの二割が今生の想念言行によって形づくられる。しかし、完全に運命をつくり直すことが出来ないかと言うとそうではなく、今生の二割を入口として、意識進化の大海に想いを解放することで、十割の運命を書き換え、デザインし直すことが可能となる。

守護霊

 多くの人間は、人生を自分個人の力で生きていると思い込んでいるが、実際には、守護霊がピッタリとくっ付いていて、いつ何時においても、自分独りの力だけで生きている人はいない。守護霊意識とは、究極的には、みずからの内部神性そのものである。

 守護霊の導きに感謝して生きている肉体人間は、自分の意識や認識が守護霊と一体化しやすく、守護霊の側からすれば、大変に護りやすく、導きやすい。その状態を客観視すれば、そのような人は、道を過たず、最短距離で次元上昇を果たしつつある。

 守護の神霊は神愛の権化であるから、その導き方において、人類に過ちの是正を強制・強要することはない。宇宙人類の生き方としては、どの星のどんな次元世界にあっても、どこまでも自主性が重んじられるものであるから、気づきを促すサインを送ることがあっても、無理やりに想念習慣を矯正することはせず、あくまで見守るのみ、生命光を与えるのみ。