いのちのメッセージ83 ~ 器、真愛、男性性・女性性

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器について

 人における人間の器は、生命光が真っすぐに顕れているか否かによって、その大小が明確に分かれる。その違いは、カルマの塊のような人間、眠りながら(心の眼を閉じて)生きている人間にも簡単にわかるほど、わかりやすい違いである。

 どちらかと言えば、器の小さい人ほど攻撃的で、器の大きい人ほど違いを受け入れる度量がある。器の大小は、男女ともに見られるが、どちらかと言えば器の小さな人は男性に多い。

 器の小さな人は、自分や自集団を他から守ろう、あわよくば他を出し抜こうとする傾向が大きく、器の大きな人は、自分や自集団以外をもオープンマインドにて抱擁し、縦の向上心に富み、横の競争に興味を抱かない。(※この場合の縦とは、天と地または生命意識と表面意識の関係性を指し、横とは、対人関係や社会における他者との関係性を指す)

 本当に強い人は、その器の大きさゆえ、他者にやさしい。真愛にもとる、偉ぶる想い・組み敷く想い・従わせようとする想い等で他者をコントロールせんと企てたり、何かが思い通りに行かなければ心臓の鼓動が速くなり感情が乱れ、不愉快な想いに支配されるようであるならば、その人の器は、まだまだ小さいと言わざるを得ない。

280524

真愛について

 真愛とは、《慈しみ》以外の何ものでもない。慈しみとは、すべてを生かす生命そのものの働きや響きの人格的現れである。

 真愛には、《温和なる愛》と《厳格なる愛》の二種の表れ方がある。仏像で言えば、観音像に代表される柔和な表情の仏像は《温和なる愛》の表れであり、不動明王像に代表される峻厳な表情の仏像は《厳格なる愛》の表れである。

 不動明王像に代表される五大明王像が厳しい表情で睨みをきかせ、そのバックに炎が燃え盛っているものが多い理由は、《いのちの光》を火炎に見立て、その炎ですべてのカルマを焼き浄め、分霊を真に生かさんとする《厳格なる愛》の表れゆえである。世俗には、その厳しい表情をもって、《怒り》の表れとする解釈があるが誤りである。五大明王像の表情が厳しい理由は、カルマに巻き込まれ、自己の本心本体を見失っている分霊に対して、《怒り》ならぬ《叱り》(光(ひかり))を与え、浄化している姿であって、同じ穴のムジナであるところの感情想念にて怒っている姿ではけっしてない。

男性性と女性性について

 男性性や女性性とは、男らしさや女らしさではなく、生命光の顕れ方における陰陽の別名である。また、男性性を一言で言えば、勇気であり、女性性を一言で言えば、包容力である。

 男性のなかにも女性性はあり、女性のなかにも男性性はある。男性性・女性性を観る場合には、男女の区別なく、生命体としての陰陽の顕れ方を観るとよい。

 男女問わず、おのれの内にある《男性性》の短所たる狭量さに自身で気がつき、みずからを磨き、深め上げ、大きな器で生きられるようになると、同時存在する《女性性》が生き生きと輝き出して、絶妙なるバランスの真愛が発現するに至る。というのも、真愛の二種の表れ方である《温和なる愛》と《厳格なる愛》を、時と場合に応じて最適に使い分け、顕すことが出来るようになるため、愛の偏りがなくなり、最適化されるためである。