いのちのメッセージ94 ~ 無心(無私)の真実 他

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無心(無私)の真実

 真実の今を生きる簡単な方法は、真善美を表すような芸術・文学・音楽等に、無心に取り組み表現したり、自分が今なすべき勉強や仕事・家事等に、無心になって取り組むこと。

 無心と無我夢中は一視混同しやすいが、まったく別な状態である。

無心とは、意識の芯を真我に統一して、生命光とすべき一体化を果たした心境である。別な角度から観れば無心とは、肉体に付随した想念が消え去って、生命意識のみが在る状態を言う。

逆に、無我夢中とは、意識の芯(真我)を放棄して、空間にある何ものかに自我を委ねた状態であり、非常に危険きわまりない心境である。

それは、わかりやすいところでは、ヘビーメタルやハードロックのような宇宙本然の真善美を表さない音楽に没頭して、夢中で演奏したり、それらに熱狂するようなことで、きわめてこの世に近い幽界波動圏に浮遊する満たされない想いが、肉体表現を得て満たされる(満たさせる)恍惚感のような状態であり、真我にはまったく到達し得ない心境である。

話は違えど、肉体を幽界の生物に明け渡して行われるトランス状態の霊現象も、この類いの無我夢中である。

無心と真我

 人は自らの芯を放棄することなく、真我に立脚して生きねばならない。真我を生きてさえいれば、他者を殺傷したり、自動車やバイクに乗って気が大きくなって攻撃的になったり、正義の名の下に、罪なき人や自然を破壊すること等がいかなる愚行か、普通にわかるものである。

 世界の霊化は、乗り物等の劇的スピード化をもたらす。しかし、感情意識を神性にて制御出来ない場合には、円盤・自走機等の未来の乗り物を運行する資格を有せず、乗っても反応してくれないため、今のうちに、自動車や自転車・バイク等の運転をとおして、無心を自己の標準装備にする訓練をしておくとよい。

 無心に生きるとは、いちいち細かいことに良い悪い、好き嫌いを思わず、自他のありのままを受け入れ、あるがままに生きることである。すべてのジャッジメントと無縁な心境にありさえすれば、人は誰でも自他一体になり、物質が持つ精神性とも交流して、無心に生きられるものである。

280706

無心と空間

 空間の真実は、無心なる神性を自己のものとしたとき、誰もの心によみがえる。空間が内なる宇宙の広がり以外の何ものでもないと知れば、移動や物質化・現実化等が、今よりたやすく行い得るようになるだろう。

無心と言葉

 言葉は使い方を誤れば、物理的な武器に匹敵する殺傷能力を持ち得る。厳しいことを言わなければいけない場合には、それを語る自らの想いが、無私なる愛に根ざしているかを省みよう。それは、心臓の鼓動が正常に働いているか否かを確認することで、簡単に観ることが出来る。

 自分の発した言動行為は、ブーメランのように巡り巡って己に返る。愛の言動行為だけなら言うことはないが、愛に根を持たず、自己都合優先で発した言動行為は、後々己の運命を破壊するのみならず、場合によっては、縁ある他者をも巻き込むゆえ、常に真理に則った言動行為を心掛けよう。

進化する真理

 真空の真理である大調和の法則以外の個別の真理は、次元の深まりと共に進化する性質のものもある。それは例えば、他力より自力、自力より絶対他力のように、心境の深まりと同時に、精進のスタンスを変えてゆくようなことである。

人類個々が現代より無力かつ無知であった時代には、自己を大いなる存在に委ね、生命エネルギーを発揮して生きてゆく生き方があった。

少しの知恵がついた現代のような時代には、自らの意志を働かせて、自発的精進によって大いなる存在のエネルギーを自己のものとする生き方があった。

しかし、それ以上に深い心境へ至るためには、すべての固定観念をふるい落とした絶対他力の道を行かなければ、宇宙根源の生命エネルギーが働く世界へは入ってゆけないため、これからの先達が歩む道は、完全なる無私の心を自己のものとして、己に宇宙創造意識をよみがえらせる道である。

もう少し先の世界では、我は神なりの心境を自己のものとした人から順に、我は宇宙なりの世界へ深化してゆくものである。

通常神性の世界では、自他同根のワンネス意識が標準となるが、宇宙即我の宇宙心の世界では、星々さえもが我が分身と思えるまでに、自己を深め、拡大してゆく世界となるのである。

終わりなき進化

 人の進化には終わりがない。「ここまで進んだから至高到達点ではないか」と思っても、さらに奥の世界を知らされる。「もうこれ以上の奥はないだろう」と思っても、さらなる奥の心境がある。ゆえに、上善水の如しを地心として身に修めていない場合や、固定観念を手放せていない場合には、霊界上位にとどまる仙人たちのように、それより上(奥)の世界へは昇れないことになるのである。