Sponsored link

現在と未来 ~ 衆議院議員選挙によせて(前編)

有りのままの現在のなかで

衆議院議員選挙の時期が近づいている。

この時期になるといつも思うことは、積極的にこの人に当選してもらいたい、この政党に政権を任せたいと思える政治家や政党のないことだ。

それは霊的に観れば、さもありなんと思われることで、日本人全体の表層想念における集合意識レベルがストレートに反映された人物ばかりが立候補しているからだ。

不倫に走る人、金銭のやり取りで特定の組織や人物に便宜をはかる人、国民の税金を欲得に負けてくすねる人、国家国民のためよりも自己保身や権勢欲のために議員バッジを欲する人等々、政治選挙に立候補する人にはろくな人がいないように私たちの肉眼には映っているが、実は彼ら(立候補者)の存在は、自分ではない政治家(立候補者)という人物を見ているのではなく、私たちの内側にありがちな精神性や、やりがちな言行の端々を、わかりやすい形で見せてくれている人々なのだ。

それなのに、そんなこととはつゆ知らず、立候補者たちに失望したりすることなどは、天に向かってつばを吐きかけ、みずからの顔につばきを浴びているような愚行なのである。

逆に、盲目的に雰囲気に流され、過剰な期待をいだき投票することなども、あとになって後悔にさいなまれることになる。

そこで私たちが、本当に知らなければならない事実は、現状のような人間生命の真実が一般的に認識されていない社会にあっては、誰が政治家になろうとも、どの政党が政権を担おうとも、大同小異で大差のないことを知ることである。

そのうえで、「この人は社会を大きく間違った方向へは導かない人である」と思える人を、人格の立派さに主軸を置き見て、自己の責任において投票することがよい。

今はまだ神性を発揮し得ないでいる人間ならば、一方の心で立派な志を掲げていても、もう一方の心では腹黒いことを考えているようなこともある。

そうすると、選挙で投票をする人たちは、自分たちに照らして立候補者たちを吟味し、一番まともそうな人なり政党なりを選択するしかない。

それが2017年現在の日本社会の実態である。(次回に続く)