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兵どもが夢の跡に想う

芭蕉の俳句に想う

松尾芭蕉の俳諧はいかい『おくのほそ道』に、「夏草やつわものどもが夢の跡」という歌があります。

芭蕉が奥の細道の旅へ向けて江戸をって約1ヶ月半後、平泉の高館たかだちの地にて奥州藤原氏三代の栄華のはかなさを詠んだとされる歌です。

なぜこの歌のことを思い出したのかといいますと、宇宙社会の仲間入りを果たすことにより地球世界が黄金時代を迎えることになる前のひとときに、私たちがこれから見ることになるかも知れない未来の情景が、芭蕉の詠んだその歌の心を彷彿とさせるものだからです。

それは、人類全体の肉体性想念が浄め去られ、神性意識がよみがえる刹那の地球で見る兵どもが夢の跡に残された自然界の力強さと、肉体性人類が追い求めた栄耀栄華のむなしさ・はかなさでもあります。

以降の内容はある日の夢で、兵どもが夢の跡のような地球の未来を見たときの感想です。

とある時点の地球の未来で

人種や宗教・思想の違い等から起こった紛争・テロ行為・戦争の数々。

真理を知らない無知から生じた病気・飢餓・環境汚染・あらゆる不運な出来事・本当は人災であるところの天変地異の数々。

神域をおかしたる発明発見の数々により生じた新たなる苦悩の累積。

私たちはなぜあのように、その場しのぎの利便性追求に走っていたのだろう?

なぜ私たちはあのように、弱肉強食性の生存競争に駆り立てられていたのだろう?

心のなかでは、他国よりも自国、他社よりも自社、他の町よりもわが町、他人の家族よりもわが家族、他人よりもわれと、常に自己とその近しい者の幸福のみを追い求めながら、しかし対外的には、他者の利益や幸せをうたい、利他のように見せかけた利己を追求して、栄耀栄華を追いかけた日々。

一人一人のあの努力の先にあった未来が、このような世界だとわかっていたなら、私たちはもう少しみずからの無軌道かつ身勝手な生き方を自制して、未来の子どもたちと自然環境にやさしい想念言行を選択することもできたのではないか。

栄枯盛衰とはまさに、真理を忘れた人類の利己的生き様の結果だった。

 

これからは、自然を活かして生きよう。

これからは、生きとし生けるものと共生して生きよう。

これからは、真理をしるべとして生きよう。

自分のためではなく、人のため世のために、この命を目一杯使い切ろう。

こんな世界になるまで突っ走らなければわからないだなんて、私たちはなんて頑迷な石頭だったのだろう。

もっと真剣に神性の意識で生きればよかった。

もっと早くに原発をやめていればよかったのに……。

おっと、タラレバは死語だった。

きっとこれも、通らなければならない道だったのだろう。

 

人の気配がしないけれど、どれくらいの人が生き残ったのだろうか?

ああ、みんな眠らされて、波動調整の最中か。

ん?宇宙の兄姉と約束していたしるしが空に現れたな。

いよいよ新しい地球を創生する刻が来たようだ。

未来の修正は可能

夢はここで終わりました。

それはどうやら、2011.3.11の大地震の比ではない巨大地震が発生して街々が瓦解し、それに加えて原発の制御が不能になって、大惨事を引き起こした後の世界のようでした。

ただ街の状況から察すると、大津波は発生しなかった模様です。

しかしそれだけ大きな被害状況であったものの、地球の霊化が進んでいたため、人体に受ける被害が過去の医学的先例の範囲外におさまり、人々の多くは軽傷で済み、ただ気絶するだけにとどまっていたようです。

それにしても人間を含めた動物たちは、ずいぶんと長い時間、気を失っていたようです。

あの雑草の茂り方からすると、2・3ヶ月は眠っていたようですから。

 

ここで大切なことは、必ずそのような未来が来るわけのものではないということです。

未来は修正可能です。

今を生きる人間次第です。

地球の未来は刻一刻と移り変わりつつ、その時その時を迎えつつあります。

私が見せられる夢は思えばいつも、最悪の展開をした場合にはこうなるという、但し書きのついた夢でした。

ちなみに印象的だったのは、昭和47年に見た霊夢です。

そのときの状景は、地球が破裂して粉々に砕け散った後の宇宙空間で、私は地球のかけらとともに、宇宙空間を浮遊していました。

当時小学校低学年の私は、真っ暗な宇宙空間に住む星もなく放り出され、一人フワフワと浮かんでいました。

そのときは、両親を必死に呼ぶも応答がなく、周囲にはなんの生体反応もなく、子供心に「ああ、地球がなくなっちゃったんだなあ」と、とても心細く寂しい想いをしたのが、昨日のことのように思い出されます。

そのときの体験を想えば、地球の未来はずいぶんと大難が小難におさめられています。

しかし、それで満足するわけにはいきません。

人類の身勝手な振る舞いにより、まだまだ自然界のあらゆる存在に迷惑をかけてしまっていることには変わりないので、そこは修正の必要があるところだからであります。

 

地球の未来のために何をすればよいのか。

一人一人の人間にいったい何ができるのか。

現代に生きる私たちは、責任を持った未来への選択をし、日々の想念及び言動行為をますます正しく行わなければならないと、襟を正した夢の話でした。