反省と改めについて

スポンサーリンク

間違えやすい反省と改めの仕方について

自分の来し方を省みたときに、間違っていた方向に向かっていると気づいたときに反省をして、正しいと信じた道を歩き直すことがあります。

その行動自体には何の問題もないのですが、時に人は心の足に、後悔という名の鉛の重しを鉄の鎖でくくり付けながら、それとは気づかずに前へ進もうとしていることがあります。

それは、気づき → 反省 → やり直しという一連の流れのうち、反省の箇所で引っかかって、後悔や懺悔の類の想念を引きづったまま新たな道を前へ進もうとしている、という状態なのであります。

そのようなこととはつゆ知らずに、重しを引きづったまま歩く善人の数は、思いのほかに多いようであります。

そうした状態のときには、肉体と精神にストレスが生じてしまって、医者に診てもらえば病名を付けられることもあります。

また、真理の道を歩んでいるはずなのに、苦悩が脳裏から離れず、思いどおりにいかないもどかしさに、どうにも出来ない歯がゆさを感じるものであります。

それらの状態は、みずからの過去の反省が後悔に変質して、いつまでも手放せずにいたことが原因だったのです。

反省の仕方について

「間違っていた」と思うのは、一瞬でよいのです。

いつまでも後悔することは、不要な想念エネルギーの使い方なのです。

「ああ、そうか、そうだったのか」と、過ちに気がついて、行くべき新たな道が観えたなら、反省や後悔の想いはハイアーセルフに預けて、前向きな想いだけを持って、そこからまた歩き始めればよいのです。

4849724a834505c8c764af454da4b652_s

人生の正しい歩み方 ~ ハイアーセルフとの二人三脚

善人が往々にして、そのような反省の落とし穴にはまってしまうのは、人生の歩み方を知らなかった無知から生じていたのでした。

人生とは、肉体人間だけで歩むものではないのです。

人は人生を、ハイアーセルフとの二人三脚で歩いているのであります。

それが、人生の歩み方に対する正しい認識です。

ハイアーセルフという言葉がピンと来なかったら、守護の神霊、または守護霊と言い換えてもよいですが、そうした内部神性の働きの一部が肉体人間にピッタリと寄り添って、守護している肉体人間が気づこうが気づくまいが、いついかなるときも、24時間体制でその歩みを援けてくださっているのであります。

この事実を知ることは、人生を歩むうえで大いなる力となって、人生を進む一歩一歩の歩みが力強いものとなってゆきます。

それとともに、不退転の勇気が身について来て、今までなら困難と思われる事態に際して、すぐに不安恐怖や諦めの想いに支配されて揺れていた想いが、ちょっとやそっとの苦難にもビクともしない心境になってまいります。

それは、不動心が発動してくるからであります。

余談ですが、空海聖人が「同行二人」と言ったのは、後の世の信者間に伝わる「弘法大師さまと一緒に巡礼している」という意味ではなく、《人生の道は、守護霊と一緒伴(とも)に歩むものである》という意味なのだそうです。

正しい認識で人生を歩む

いつまでも反省や後悔を引きづらずに、一瞬のうちに反省を終わらせて、立ち直した改めた気持ちをもって、ハイアーセルフとの二人三脚の歩みを自覚して進むならば、後悔の重しを足にくくり付けて、もがくように前へ進もうとしていた状態は、二度と体験することはありません。

人は、「悪かった」と思わないことには、改めようがありませんし、そう思えればやり直しのしようもあります。

しかし、その反省は一瞬でよいのです。

ここが重要なポイントであります。

改めたならもう過去のことは、重箱の隅をつつくようにほじくり出さなくてよいのです。

新たな気持ちで、新たな道を、まっすぐに進むのみなのであります。

自分に対して、そのような認識力の用い方を出来る人は、他人に対しても寛容になることができます。

そのようにして、個人個人が精進し、歩みゆくその先に、アセンションした輝かしい地球世界の未来があるのであります。