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自ら分かれた者

自分という文字を分解してみると、『みずから分かれた』、『おのずから分かれた』と読めます。これは、己の側から観れば『みずから分かれた』のであり、傍から観れば、『おのずから分かれた』ということであります。では、分かれる前の己とは、一体何なのでしょうか?

これは、すべての生命体の源泉である大生命、宇宙創造エネルギーであります。宗教の世界では、神仏と表現されているすべての創造の源の存在です。科学の世界から表現すれば、すべての素粒子の大元の波動です。

みずから分かれる前の元の側に自らの意識を置いて、肉体という乗り物に乗って生きることができているならば、その人はアセンション、次元上昇を果たしている、ということができます。

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先ほど肉体という乗り物と表現しましたが、人の本質・本体は、肉体にあるのではないことは自明の理です。がしかし、現在までの地球世界では、肉体としての存在こそが人であると広く信じ込まれていました。肉体存在が人であるならば、死ねばすべてが終わりだということになります。

そのように考える人たちは、「母親のお腹の中に命が宿って、人としての形をもって生まれてくるこの命はいったいどこから来たのだろうか?」という疑問が湧かないのかと思い、地球人類の実際の想念の動きを観じると、生命誕生の不可思議さを一時は想いみるものの、その不可思議さを掘り下げて探究することをせずに、五感の世界に意識が引き戻されてしまい、雑多な日常の感情想念のなかに埋もれてしまっているようであります。

この肉体の世界においては、何をどのように思い、何を信じ、どのような価値観で生きてゆくかは、個人個人の自由裁量に任されてはいますが、宇宙法則である調和の原理に外れて生きていると、不安恐怖がいつまでたっても消えず、自他分離観から自己保存の本能的感情想念が湧き起こって、この世の横のつながりのなかでも不和があり、縦の命のつながりにおいても、霊肉ともなる自己調和を果たすことができずに、病気や不幸の境涯からなかなか抜け出せないことになってしまいます。

冒頭に書いた、みずから分かれた自分、いのちの光の己に一日も早く回帰することが、外的状況の変化に影響を受けることのない(崩れることのない)幸せを、人類みんながつかみ取る道なのであります。