主権在命(後編)

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(前回の続き)

主権在命

また、そのような自立した精神性を養うためには、自己の心内に、宇宙の真理に則した生命観を確立していなければならない。なぜなら正しい生命観のない人には、国家を善導する叡智が生命の深奥から湧出して来ないからである。

私たち人類の命の在処ありかは本来、単なる物質的肉体にあるのではなく、生命光としての意識体にある。この生命光が肉体誕生時に受精卵に宿り、地球ほしを構成する要素・原子を寄せ集め、受精卵に凝縮するところから肉体身が形成されるのである。そうして、おおよそ十月とつき十日とおかの間に母胎の中で人体を形成した暁に、私たちはみずからの乗り物である肉体に乗って、この世に生を受けているのである。またこの生命光、すなわち命が肉体から離れ、あの世へ還元される現象を死という。


であるから、人類意識の主権は命にあるのであり、肉体にあるものではない。肉体は命の乗りものであり、器でしかないのだ。しかし、だからといって肉体をないがしろにしてよいということではない。肉体が健常に働かないということは、生命の自由自在性を肉体に表現出来ないことになって、生まれてきた意義を損なうことにもなりかねないのだから、みずからをこの世にとどめ、働かせて下さる肉体を大切にしながら、生命光の無限なる創造性を駆使して生きてゆくことがよい、ということになるのである。

21世紀を生きる私たちは、「自分たちが物質性の存在だ」などという、原始人的発想から即刻卒業しなければならない。地球界の波動が幽界と同等になり、霊界の波動圏に足を踏み入れようとしている現在、未だ人間が物質的個別の存在であるという認識は、この世に不調和をもたらしこそすれ、調和世界をつくる力にはならない。

主権を命の側に置き、生命光の意識に立脚すれば、全人類の本質が神性にあることは一目瞭然である。そのような認識を持つことで主権在命の意識進化した心になり、そうなって初めて、ブレることのない主権在民の当事者意識を持てるようになり、みんなが協力して国を治め、世界を治める世に進化してゆくのである。(終わり)