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打ち明け話の客観的事実とそのアセンション

他人(ひと)に話を聞かせる人、聞いてもらいたい人

肉体人間は、自分がまだ内なる本心・本体を自覚するに至らない段階にある場合に、他人に話を打ち明け聞いてもらう、堰を切ったように一方的に話す等するだけで、気がまぎれて楽になり、肩の荷が下りたような、心身が楽になったような気になることがあります。それは、相手から特に何らかの言葉をもらわなくとも、ただ相槌を打って聞いてもらっているだけでも、そのような状態になるのです。そのような状態がどういうことなのかを知ることは、自己の精神状態を客観視するうえで有益だと思われましたので、ここに、ひとつの文章としてまとめておきます。

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相手の都合の如何にかかわらず、自分の一方的感情想念の発露として、「とにかく誰かに話したい、他人に話を聞いてもらいたい」という衝動は、どうして起こってくるのでしょうか。それは、内なる神性・ハイアーセルフ側のタッチできない“肉体人間”側の自由(責任)範囲における潜在意識の器(幽体・水桶のような場所)がいっぱいになり、堰を切ったように想いが溢れてくる現象なのであります。想いが溢れてくると、人は黙っていることが辛抱たまらなくなり、誰でもいいから話したいと思い、聞いてくれそうな人を見つけては、想いのたけをぶちまけるのであります。

相手の状況を思いやり、話す相手を選ぶ

話を聞く側の人が、心に余裕がある人の場合は、想念と想念がバッティングすることなく、発信された想いが相手の器(肉体)をとおして、聞く側の《いのちの光》にさらされ、吐き出したカルマ想念が宇宙元素に還元されてゆくのですが、聞かされる側、聞く側の人が同じような精神波動の状況にある場合には、カルマがカルマを産み、さらなる想いの泥沼に、互いが沈み込んでゆくのであります。ですから、「何でもよいから誰かに話したい、打ち明けたい、聞いてもらいたい」と思う段階にある人は、話を聞かせる(聞いてもらう)相手を選ぶ必要があるのです。

そこで一考を要するのがインターネットの世界です。親しい間柄の人たちの間では、上記のような対応が有効ですが、インターネットの世界は、ハッキリと申しまして、想いが駄々漏れ、垂れ流しの世界です。「聞いてもらいたい、さりとて聞いてもらえる人がいない、されども自己顕示はしたい」という人が、想いの闇をインターネットの世界に想う存分にぶちまけています。神性意識で書かれた個人ブログ・ホームページ・SNS等には、めったにお目にかかることがありません。そうした光の世界の情報は、多くの人が興味をもたず、アクセスもしませんので、インターネット検索の順位が低い場合が多く、故にお目にかかることが滅多にないのであります。

インターネット上に発信されている個人の言葉の数々は、他人に想いを打ち明けてスッキリとすることの代替手段として書かれた文章がほとんどといってよいでしょう。そうした状況は、ニュースサイトの文章でさえもが同じ有り様で、記者がみずからの想いをぶちまけるはけ口となっているような状況なのであります。心ある人は、検索画面でそのようなサイトを見かけても、気になることもなくスルーしてしまえますが、同レベルの意識体は共鳴し合って、そこでもカルマがカルマを産み、さらなる想いの泥沼に、互いが沈み込んでゆくのであります。

ですから本来は、そうしたサイトには、管理者が鍵をかけて、一般の人が見れないところで運営すべきなのですが、そこはまだ未開発地帯のインターネット世界のことですから、時間の経過とともに、いろいろな問題が解決されてゆくことになるのでしょう。

支え合い、助け合い、アセンションしてゆくために

未だ大調和世界完成に至っていない地球世界では、どんな立派な人も、立派になりかけの人も、立派になぞなりたくない人も、誰もがみな五十歩百歩の心境なのであります。多くの場合、人の心は、竹を割ったように、単純にできているわけではありません。様々な想いが複雑に絡み合って、この面は素晴らしいけれど、そっちの面は及第点に至っていないというのが、ほとんどの人の現実であるわけです。

そうしたなかにあって、互いが互いを支え合い、助け合い、ともに意識進化の螺旋(らせん)アセンション(次元上昇)してゆくためには、己の感情をコントロールして、極力周囲に迷惑をかけず、想念が表れる前に浄化処理して、どうしても自分で処理できない時にだけ、他人に話を聞いてもらうようにするとよいのであります。

深い呼吸で自浄作用を促す

先ほど申した“想念が表れる”とは、言葉と行為に表現することです。また、言行に表す前に想念を浄化する方法にはいろいろありますが、なかでも一番簡単で、誰にでもでき得る方法は、みずからの深い呼吸に乗って、《いのちの光》と肉体意識を直通させる方法があげられます。その方法では、いのちの光と肉体意識の途中階層にある潜在意識層をも巧まずにクリーニングすることができるため、人間側の努力の程度が非常に少なくて済むのであります。

現在の世界では、山にこもって修行したり、寺に入って千日行をしたり等は、誰もができることではありません。雑多な波動に満ちた日常から隔離された場所で行う修業・修養は、確かに集中しやすく行いやすいものですが、世界が密接に結び付いた現代にあっては、みんながみんなそのような生活をしたら、ほとんどの人が飢え死にしてしまうでしょう。そうした意味で、今の時代に必要な意識進化の方法は、日常生活をしながら誰でも行い得るものでなければならないわけです。

深い呼吸をとおして自己の生命光とのつながりを太く強くしてゆく方法は、意識進化の方法としていろいろあるなかで、一番簡易にできる方法です。呼吸は誰でもしています。呼吸をしていない人などいません。また、呼吸は動物性の存在だけがしているのではありません。万物が呼吸をしています。奥の世界を見れば、宇宙そのものが呼吸をしているのであります。

人類に限定して言えば、呼吸とは、表す側と表された側をつなぐ光のパイプであります。そのパイプの太さは、表された側の選択で、糸のように細いパイプから、天地をつなぐ光の大柱まで、自由に選択することができます。選択できることを知らなかったこれまでは、ほとんどの人が無意識に呼吸をしていました。無意識呼吸の場合には、生命と肉体をつなぐパイプの太さは、過去世の修行の程度によって、人により様々なままでした。

その手つかずの呼吸の仕方を、意識的に深い呼吸をするように意識づけしてゆきますと、《いのちの光》のパイプがみるみる太くなり、想いが過去のように、簡単に潜在意識に溜まらなくなってくるのであります。そういたしますと、“想いの汚水槽が溜まる → 溜まった汚水槽が溢れ出て地上を汚す”といった悪循環がなくなり、心のなかにバイオトイレを設置したように、自分の想いは自分で自浄処理できるようになってくるのであります。

聞く側の人の心得(意識進化した人の場合)

すでに意識進化の螺旋をかなりの高さまで登った人たちには、相手がぶつけてくる感情想念とぶつかり合う同等の想念がありませんので、とくにこれといって、「こうしたほうがいい」というようなことはないのですが、現段階で、ひとつだけはっきりと申せることは、これからは、幽界から霊界へアセンションする人が増えてくるため、葛藤の領域で自縄自縛して苦しみ、自分ではどうしようもないために、守護霊がそうした人たちのところへ、迷える人を連れてくることもあるということであります。

意識進化した人たちは、自らが菩薩行をなす者であることを自覚しておりますので、そうした人が目の前に現れても、決して避けず正面から向き合って、相手の話を聞くことができています。

意識進化した人は、相手を自己の思い通りに動かそうというエゴがありませんので、その話に対して、自己主張をぶつけることもなく、ただ黙って話を聞いていて、最後に核心を突く言葉をポンと投げかけて、その会話を終わりにするのであります。

意識進化した人は、その核心を突く言葉が、自分自身の言葉ではないことを知っています。それが、相手の守護霊の導きの響きを導管となって、自らの言葉で伝えていることを、です。

小我を大我にお返しする(意識の大政奉還を)

人が真に安心して、自己が立命して生きてゆくためには、“自分が自分だと思って手放せないでいる自分を手放し、生命光のなかに溶け込ませること”が肝要であります。それ無しには、どのようなことをしても真の安心を得ることも、己が立命して生きてゆくこともできません。

「人間は小生命であり、宇宙は大生命である」とは、よく言われる話でありますが、人間がアセンション(次元上昇)するためには、自分が自分だと思っていた小我のすべてを、“大我・大生命・生命光に返還して、放棄する、大我に委ねる、まな板の上のコイになる”必要があるのであります。

自分が自分だと思っている自分個我を離れることができない限り、この世の苦悩はつづきます。自分自身がそうした道をとおってきた者のひとりとして、すべての悩める人たちが、「自分が自分だと思ってたのは、真実の自分じゃなかったんだあ。ホントの自分は光そのものだったんだなあ」と、心の底からしみじみと実感することができる日が、一日も早く来るよう、願わずにはいられません。