Sponsored link

天変地異に際して

天変地異に際して

 地震や火山の噴火、大地の沈没・隆起等は、すべて地球人類の集合意識の波動調整である。

 天象の異変は、一部人災であるが、それ以外はすべて大地の異変と同じく、地球人類の集合意識の波動調整である。

 天変地異への不安・恐怖の想いから、「いつ何が起こるか」と心配ばかりしていることは、天変地異の発生を助長する意識エネルギーの使い方である。

 地球全体が次元上昇するまでは、なにが起こっても不思議はない状態なのだから、せめて想いだけは揺り動かさないこと。

 難を逃れようとすると、難のほうから追いかけて来るが、「来るものは受けよう」と腹をくくってしまえば、難は難なく過ぎ去ってゆく。

 天平らかに地成れ 〜 地球人類のうち、10~20万人が神性意識を覚醒しさえすれば、ドミノ倒しのように意識進化する人が増えてゆく。その後、過半数以上が神性意識で生きる世界になると、天変地異による波動調整は徐々に役割を終え、やがて“平成”な世が来るものである。

 たとえ空から溶岩が降り注いだとしても、感情想念の黒雲で《いのちの光》を隠さない人のうえには、溶岩は避けて落ちるものである。私たち日本人の太古の祖先(過去世)は、すでにその事態を体験していて、想いをどのように使えばどうなるということを、魂は充分に学び尽して知っている。だから、安心して不動心を保つことができるのである。

 投げやりと不動心は、まったく異質なものである。「どうにでもなれ」ではなく、「大丈夫、よくなる」である。不動心の心境は、あらゆる事象に際して、一切想いが波立つことがない。

 同じ状況でも、認識の仕方によって、それが不幸にも幸福にもなる。これは人生万般に通ずることだが、何ごともプラス発想で受け入れ、創意工夫(いのちの智慧、創造力)を働かせられる人は幸いである。

 世界の大調和と人類の意識進化(覚醒)を意宣りつづけている人は、どんな不幸にも巻き込まれることがない。それは、認識力の違いでもあるし、災難が彼らを避けるからでもある。

天変地異 ~ 避けては通れぬ道

天変地異、天変地変等の言葉は、何か不吉なことが起こる予兆を含んでいて、あまり使いたくない言葉ではあります。しかし、地球の人類が意識進化を果たすためには、それらの現象は、避けては通れない道なのであります。

何故かと申しますと、地球という惑星の命運は、ひとえに地球人類の集合意識の動きにかかっており、このまま人類意識が神性(いのちの光)をかけ離れた方向へ進みつづければ、星も人類も、自壊するより他なくなってしまうからであります。そうならないための自浄作用、新陳代謝として、様々な異変が生じているのです。

よく使われている表現で申せば、天変地異とは、外れた骨を元に戻すときの痛みのようなものです。その痛みを避けていては、骨が外れた状態を元に戻すことができないのと同じなのであります。それは、あに天変地異ばかりではなく、個人の運命上に現れる病気や怪我、その他の不幸な事態も、同様な意味があります。

私たちは、それがわからないばかりに、嫌なことは避け、できれば逃げたいと思い、実際に逃げて、かえって勢いのついた禍事(それも認識の仕方次第なのですが)に打ちのめされてきたのでした。

天変地異が起こる真実の原因

上記のことからわかるように、それらの避けたい事態のすべては、自分たちが招いた事態、引き起こした事態と言えます。個人のうえに現れることは個人の、多くの人のうえに現れることは集合意識の、それぞれがつくり出した(招いた)現実なのであります。

そこで、上記短編メッセージにもあるとおり、「来るものは受けよう」と腹をくくってしまうことがよいのであります。そうすれば難は難なく過ぎ去ってゆくのであります。難を逃れようとする想いの動きは、逆に難を引き付けて、難のほうから追いかけて来る現実をつくり出してしまいます。「われに七難八苦を与え給え」とまで思う必要はありませんが、来るものは拒まず、受け入れる度量が大切になってくるのであります。

何かを「嫌だ」と思っているということは、嫌なことを意識していることに他なりません。そのような想いの用い方をしているということは、虫眼鏡で太陽光線を集め、紙の上のある一点(この場合は嫌なこと)に熱を集めていることと同じであります。ある一点に熱が集まれば、やがてその箇所は燃え始めます。ここまで説明いたしますれば、“何かを嫌だと思うことは、嫌だと思った事態をより大きくさせることである”ということが、おわかりになるかと思います。

観の転換

不幸や災難に巻き込まれることが嫌なことは、正常な人なら誰もが思う人情であります。それがダメだと言われると、地球人類は立つ瀬がなくなってしまいます。そこで、観の転換が役に立ってくるのであります。観の転換とは、物事を観る位置、視野の角度を変えることであります。

どのように変えるのかと申しますと、現れてくる天変地異も不幸災難も、すべてにはそれが現れる、起こる理由があるのですが、その理由を截然と認識するのであります。それは、《消え去るために現れている》という事実であります。現れてきたことは、それが自分にとって、都合のよいことであれ、悪いことであれ、そこで自分の記憶に再び強く刻み込みさえしなければ、実際必ず消え去っているのであります。

思い出というものがすべて、たとえどんなに悲惨な思い出でも、50年も経つと風化して、生々しさのない、昔見た夢のような記憶としてしか残っていないのは、それらが過去に現れたことによって、実はその時点で消え去っているからなのであります。もしも消え去っていないとするならば、その嫌な記憶は、当時の生々しい痛みや悲しみや苦しみを、今も同じように自分に感じさせるはずですが、その記憶をつかんでいる程度の違いにもよりますが、当時のままの感情を味わいつづけている人は、そうそうはいないのであります。

この《現れたことは消えるんだ》、《現れたから消えたんだ》という想い方は、実際にご自身の想いの運用のなかでお試しいただければおわかりになるかと思いますが、どのような嫌なことも、自分のなかで大きな意味を持つものではなくなって、ネガティブな想いに足を取られなくなり、感情想念の泥沼に沈み込んでしまう回数さえもが、劇的に軽減されるのであります。

大切なこと ~ いのちの真実を知って生きる

そのためには、自分がどのような存在であるか、自分の本質に対する強い信念が必要です。自分が何者かもわからない間は、この話を理解することは難しいと思いますので、もっとやさしい段階から、確実に基礎を固めることが大事であります。

人間は誰もが宇宙の神聖であります。《神聖なるいのちの光》こそが、人間の実体なのであります。形に現れている人間の全生命に占める割合は、1%もないのであります。言葉を変えれば、肉体人間とは、《全生命のうちの氷山の一角》なのであります。その事実をシッカリと理解したうえで、形に現れる以前の光の意識に想いをいたすのです。

人間の本体は光です。この世のすべては、形無きエネルギーによって、形成されています。万物を創り成した無限のエネルギー、それこそが人間生命の実体であり、心の大元の大生命エネルギーなのであります。そこへ想いが入り込んでみて、初めてワンネスがどういうことだったのかがわかるのであります。

そこまで心の奥底の世界を実体験したうえで、肉体意識に戻ってくると、《この世の何ごと何ものも恐れるに足らず》と、嘘偽りなく、当たり前のように思える自分に生まれ変わっているのであります。

もしもそのような人が何らかの事態に遭遇して、仮に肉体の命を落とすようなことがあったとしても、その人は肉体の命に執着していないので、移動した先の世界でまた新たな天命を授かって、新しい環境で平常心で生きてゆくことができるのです。

しかし、地上におけるそのような意識体の存在は、宇宙人類(天使)や諸神聖霊方が放っておきませんので、肉体に危害が加えられるような事態になることはないのであります。

「私たちは絶対に大丈夫である」という大確信を心に抱き、自分の身の安全を願う想いは脇に置いて、地球全体の調和と人類すべての意識覚醒を寝ても覚めても想い生きる人は、絶対に悪いことなど起こりようのない(よくならざるを得ない)人生を今後も歩みつづけるのであります。そして、100歳 → 150歳 → 200歳と齢を重ねて、地球人類の寿命を延ばし、《“これまでの定命の常識”を塗り替えてゆく先駆けの存在》となってゆくのであります。

私たちは、地球が真に平和な星になる日まで、人類の最後の一人までもが意識進化して新しい世界にとけ込むことができるその日まで、この星の進化を見えない世界で導き、人類の進むべき道を人知れず開拓しつづけるのであります。そして、地球界の開発に目鼻が付いたことを確かに確認できたとき、後の世の開発を後進に譲り、新しい星の開発へ向けて旅立つのであります。