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意識の空中ブランコを飛び移るとき

アセンションとは、意識の空中ブランコを飛び移ること

意識がアセンションするということは、今まで自分だと思っていた自我意識の空中ブランコから、神性意識の空中ブランコへ、勇気をもって飛び移ることです。今この時代に、すでに意識進化を成し遂げた人たちは皆、この《意識の空中ブランコ》を飛び移った人たちなのであります。

しかしそれは、“言うは易く行うは難し”で、なかなかどうして、《肉体こそが人間である、自分と他人は別人である》という習慣想念の認識を捨てきれないうちは、人から「飛び移ってごらんなさい」と言われて、「はい、わかりました」と返事をし、すぐに「エイッ!」と飛び移れるものではないのであります。

しかし、意識の空中ブランコを飛び移ることが難しいからといって、そのステップをパスして、アセンション、意識進化を成し遂げることはできません。

意識の空中ブランコを飛び移るために身につけておくとよい真理

そのための意識の準備として、想いの血肉にしておくべき真理があります。

それはいくつかあるのですが、まず大前提として血肉にすべき真理は、【肉体が人間なのではなく、肉体を動かしている《いのちのエネルギー》、《霊なるこころ》こそが、人間の本心であり、本体である】ということです。これがほんとうにわかれば、その他の真理は、芋づる式に解明されてくるのであります。

この基礎的真理が身につくと、バラバラだった認識におけるすべての点と点がつながり線となり、その線と線が結ばれて立体となり、その立体的な認識にもさらなる次元の奥行きがあって、碁盤の目状に配置された縦(精神の奥行き)と横(物質界)の線の交差が、他次元世界へと連なり、離れてあるものではないことが、心眼に見えてくるのであります。

その霊なるこころを奥へ奥へとたどってゆくと、誰も彼ものいのちが、いのちの大元・大生命の波動圏において、ひとつに統合されていて、まったく離れていないことがわかってくるのであります。

意識進化の過程で開ける心眼について

先ほど申し上げた《心眼》とは、肉体にありながら、奥の世界、霊なる世界のことも当たり前のようにわかって、この世のことのように認識できる意識の眼です。

この心眼が開ける前提条件は、うまずたゆまず意識進化のための行をなしつづけて生きていることであります。そうしていさえすれば、誰もがそうした便利な眼があったことに気がついてくるのであります。

それは、急激にわかるというよりは、少しずつ開けてきて、あるとき振り返ってみて、何年か前の自分とは、明らかに、全然違う意識状態になっていることを自覚できてきて、その自覚の積み重ねによって、確信が生まれ、その確信がさらに深まって、大信念となり、意識の空中ブランコを飛び移ることが容易に思える心境になってくるのであります。

それは、霊体が大きくなったということで、大きくなった霊体意識からすれば、意識の空中ブランコを飛び移ることなど、わけもないことなのであります。

その理由は、肉体を基準に考えてもらえばわかりやすいと思いますが、ふたつの空中ブランコ、今まで自分だと思っていた自我意識の空中ブランコと、神性意識の空中ブランコの距離が、左右どちらでもよいですが、手の親指と人差し指で輪をつくる行為になるくらいに、たやすくなるのであります。

肉体と神性を結ぶ霊性の開発

そういうことがわかるようになるためには、結論的には、肉体と神性を結ぶ霊性の開発を先になすことがよいのであります。それが基本・基礎となって、神性と表面意識を隔てていた隙間が埋まり、距離が近くなって、意識の空中ブランコを飛び移る際にも、命がけで勇気を振り絞らなくとも、扉を開けて外へ出るように、意識の空中ブランコを飛び移ることができるようになるのであります。

そのための方法は、いつも申しますが、いろいろな方法があるなかで、一番効果が大きい方法が、深い呼吸の継続、いつでも呼吸を深くしておくことなのであります。

無意識に行っていた呼吸を意識的に行うことによって、気づかぬうちに、いのちの本源の光が表面意識に表れてきて、自分の意識波動そのものが精妙な周波数の波に変わってくるのであります。

280310

 

意識の空中ブランコは、あっけなく飛び移れる

そのような下準備がある人は、あるときふと思い立って、「人間を卒業してひと(霊止)になった」と認識したその瞬間に、「飛び移った!」と思う間もなく、意識の空中ブランコを飛び移り終わってしまっているのであります。

その後の意識は、同じ家に住み、同じ人たちと付き合い、同じ仕事をしていながらも、それを観ている意識、自分が自分だと思っていた自己が、まるで違ってしまっていることに気がつくのであります。

その意識状態は、《違っている》というよりは、《拡がっている》と表現するほうが適当で、自分と他人を別人と認識していた個我が、大我とも呼ぶべき<いのちの光>に溶け込んで、大きく拡大した自己が、表面意識に表れてくるのであります。

意識の空中ブランコを飛び移るということは、あくまでも《小我が大我に還元すること》でありますので、自分が全くの別人になって、記憶も変わってしまうような、単なる魂の入れ替わり(ウォークイン)とは、起こっている出来事の規模が違うのであります。

誰もが聖者・賢者として、よみがえる(新生する)とき

今回の地球において、みんなが体験することは、大変な魂の進化であり、過去の聖者に肩を並べるようなことなのであります。

「そんな大それたこと、恐れ多い」と思う必要はありません。みんなが聖者にならなければ、地球の進化はないのですから、誰も彼もが、肉体と神性を隔てていた隙間・差を取って、堂々と悟ればよいのであります。

地球の霊化がかなり進んだ現在では、それができやすい時代に、すでに変わってしまっているのであります。

宇宙の進化した星の世界は、みんなが仏陀やキリストのような人たちばかりの世界なのであります。地球もやがては、そうした世界に変貌してゆくのであります。

夜明け前が一番暗いのと同じで、にっちもさっちも行かないような現代こそ、地球文明の大変革が成される夜明け前なのであります。

また、全体としては夜明け前ですが、個人レベルで見てゆくと、すでにこころの夜が明けて、神性の朝を迎えた人たちも大勢いるのであります。

彼らは、自己顕示欲がないので、「我こそは」と名乗らないために、その存在を世に知られることはありませんが、陰に日向に地球の現状を支え、かろうじて一進一退の現状維持を支えているのであります。

そうした地球の運命を支える人、意識の次元上昇を果たした人が、ひとりでもふたりでも多く世に顕れてくだされば、地球全体の運命修正も、随分と楽になってくるのであります。

この文章を読まれたあなたが、意識進化を何ごともなく果たし終えて、後進の人類にとって、《意識進化の道しるべ》となり、暗がりを照らす街燈や、闇夜の海を照らす灯台としての天命を果たされることを、心より祈念して、この文章を終わります。